24 母船の女王
第二十四話 母船の女王
ノワルミアの笑い声が、壁の中から聞こえた。
口元は動いていない。
私の前にいる彼女は、胸の傷を片手で押さえ、処刑場の奥まで追い詰められている。黒いドレスは裂け、赤紫の血が床へ滴っていた。
それでも、エグジラ全体が笑っていた。
天井、床、壁を走る生体管、割れた通信端末。あらゆる場所から同じ声が、わずかにずれながら重なる。
「何がおかしいの」
問いながら、息を整える。
喉はまだ痛む。右肩の傷は塞がらず、片翼も戻っていない。長い大鎌を作るだけの余裕はなく、右手には短い固体化マナの刃を握っている。
隣ではピュリファイアが白い炎を薄く広げ、天井から降り続ける生体兵器の命令接続を焼いていた。
最後の親衛個体が斧を振り上げる。
私が前へ出るより早く、白い火がその肘へ巻きついた。駆動命令を失った腕が落ち、斧の重さに引かれて身体が傾く。
懐へ入る。
刃を胸へ差し込み、再生器官だけへ死を流した。
親衛個体は膝をつき、今度こそ動かなくなった。
処刑場に立っている敵は、ノワルミアだけ。
外では砲撃が続いている。
床の振動が、少しずつ近づいていた。コーポ・アレスの重装歩兵が内部へ入り、幻想公司の魔法少女隊と救助路を繋いでいる。
通信窓には、母船生体砲の沈黙、外郭防衛線の三箇所突破、脱走実験体の保護開始が流れていた。
私たちは、勝ち始めている。
そのはずだった。
「妾が、何を笑うておるか分からぬか」
ノワルミアが玉座へ背中を預ける。
「随分と嬉しそうだからね。会社が潰れるのが趣味だった?」
「会社?」
幼い顔が、不思議そうに歪んだ。
「貴様らは、まだこれを会社と思うておるのか」
彼女の手が、玉座の表面へ沈んだ。
黒い金属だったものが柔らかく開き、細い管が指の間へ絡みつく。手首、肘、肩へ這い上がり、裂けたドレスの下へ潜っていった。
ピュリファイアの白い火が伸びる。
管とノワルミアの接続だけを焼くつもりだった。
赤紫の膜が、その前へ現れる。
白火が触れた瞬間、膜の表面へ数億もの小さな光が浮かんだ。
心拍。
一つではない。
「お待ちくださいませ」
ピュリファイアが自分で炎を止める。
白火の先端が、赤紫の膜から数センチ離れた場所で揺れた。
「何が見えた?」
「生体マナです。ノワルミア一人のものではありません」
私にも届いた。
床へ薄く広げていた瘴気が、壁の内側を走る生命へ触れる。
近くの培養区画、兵員区画、外郭へ続く搬送路。さらに遠く、星の反対側からも、無数の心拍から細い線が伸びている。
全て、ここへ向かって。
「まさか」
ノワルミアの胸の傷が動いた。
裂けた肉が寄る。
血が止まる。
彼女自身の再生ではない。
遠くにいる誰かの心拍が一つ弱くなるたび、傷口が少しずつ閉じていく。
「妾はオブリビオン・インダストリーズの代表ではない」
管が彼女の背中へ入る。
玉座の両脇から太い生体束が伸び、腰と脚を包んだ。身体を拘束しているようにも、支えているようにも見える。
「妾がオブリビオンじゃ」
処刑場の床が割れた。
黒い玉座が沈み、その下から巨大な生体核がせり上がる。赤紫の膜に包まれた球体。太い血管と金属の骨格が何層にも重なり、中央には人が入れるほどの窪みがあった。
ノワルミアの身体が、その窪みへ収まる。
背中が生体核へ触れた。
星中の心拍が、同時に跳ねる。
痛みが来た。
私のものではない。
瘴気を通して触れていた数億もの生命が、一瞬だけ同じ痛みを感じた。胸を押さえる者。息を詰まらせる者。立っていられず、床へ膝をつく者。
救助路を走っていた実験体たちまで止まる。
「接続を閉じてくださいませ!」
ピュリファイアの声で、瘴気を自分の周囲へ戻す。
遅かった。
痛みの残響が、まだ身体の中にある。
三年前。
私の腹部へ、異物だった器官を接続されたとき。
神経と血管へ根を伸ばされ、自分ではない生体マナを身体の奥へ押し込まれた。
あれと同じ形。
規模だけが違う。
私一人へ行われたことを、ノワルミアは星ひとつへ広げている。
「全て、妾の支配下にある」
生体核の中央で、ノワルミアが両腕を広げる。
傷は塞がっていた。
背丈も幼い顔も変わらない。それなのに、彼女の後ろにはエグジラの血管が翼のように広がっている。
「兵も、商品も、培養槽の肉も、逃げ出した不良品も。妾の設備で育て、妾の命令で働かせた」
赤紫の光が、全身を覆う。
「ゆえに、その命も痛みも、妾が使う」
「人の身体を勝手に使うな」
声が低くなった。
ノワルミアが笑う。
「貴様が言うか」
「私だから言うの」
短い刃を握り直す。
「使われた側だから」
床を蹴った。
ピュリファイアが止める声より先に、ノワルミアへ踏み込む。
赤紫の障壁が開いた。
硬い。
短い刃では抜けない。
長く伸ばせば剛性が落ちる。それでも一点だけへマナを集め、刃先を細くする。
障壁へ突き立てる。
ノワルミアが右手を振った。
生体核から伸びた管が鞭のようにしなり、私の脇腹を打つ。
身体が横へ飛ぶ。
床へ落ちる前に、薄桃色の片翼を開いた。足から着地し、もう一度前へ出る。
白い火が私の刃へ沿った。
ピュリファイアの浄火が、障壁の再生命令を焼く。
赤紫の膜が一瞬だけ薄くなった。
そこへ刃を押し込む。
通った。
ノワルミアの右肩を浅く裂く。
赤紫の血が飛んだ。
同時に、遠くで誰かが叫んだ。
通信窓が勝手に開く。
コーポ・アレスの救助区画。
保護された実験体の一人が、右肩を押さえて倒れていた。薄い培養衣に、赤い血が滲んでいる。
私が切った場所と同じ。
「止めてくださいませ!」
ピュリファイアが私の腕を掴む。
次の一撃を止められた。
ノワルミアの右肩は、もう塞がり始めている。
通信窓の実験体から、傷だけでなく何かが抜けていく。呼吸が浅くなり、皮膚から血の気が失われる。
その分だけ、ノワルミアの顔へ色が戻った。
「傷を移した?」
「それだけではありませんわ」
ピュリファイアが青い瞳を細める。
「傷害を分配し、再生に必要な生命活動まで徴収しています」
私の刃が震えた。
傷つければ、別の人が傷つく。
では、殺したなら。
考えるまでもない。
刃を消す。
「賢明じゃ」
ノワルミアの肩が完全に塞がった。
「これで分かったであろう。妾を殺せば、星が死ぬ」
「嘘」
「試してみるか?」
生体核の周囲へ、無数の通信窓が開く。
培養槽の中、兵員区画、救助されてアレス軍の担架へ乗せられた者、首輪を失って自分の足で逃げていた者。その全員の胸元に、同じ赤紫の線が浮かんでいる。
すでに助けた人まで。
命令接続を切っただけでは足りなかった。
エグジラの生命維持系で生かされてきた身体へ、もっと深い接続が残っている。
ノワルミアは、そこへ手を伸ばした。
「外の連中にも教えてやろう」
彼女が指を上げる。
外郭の映像へ切り替わった。
コーポ・アレスの砲弾が、生体装甲へ着弾する。
金属が砕ける。
星の内部で、何十人もの実験体が同時に身体を折った。
魔法少女隊の火線が砲台を貫く。
別の区画で、兵士たちの背中へ焼けた亀裂が走る。
攻撃された母船の損傷を、接続された生命へ流している。
「やめろ!」
通信窓へ叫ぶ。
砲撃音に消された。
変身バングルへ手を当てる。追跡術式は、幻想公司とアレス艦隊へ開いたままだ。ピュリファイアの白い火が回線の妨害だけを焼き、私の声を戦場全体へ押し通す。
「全軍、攻撃停止!」
今度は届いた。
「エグジラが内部の生命と接続してる。母船への攻撃が、実験体へ移されてる!」
短い沈黙。
通信の向こうで、砲声が一つ減る。
次に二つ。
遅れていた砲弾が最後に外郭へ落ち、星の内部から悲鳴が返った。
それを最後に、コーポ・アレスの艦砲が止まる。
幻想公司の魔法も消えた。
上空を飛んでいた魔法少女たちは攻撃をやめ、代わりに障壁を広げて味方を守る。重装歩兵も銃口を下げ、押し寄せる生体兵器を撃てずに後退した。
『損傷転送を確認』
コーポ・アレス統合艦隊司令の、硬い男の声が返る。
『全軍、攻撃中止。救助と防御へ移行せよ。母船構造への火器使用を禁ずる』
正しい。
その命令しか出せない。
だからこそ、戦線が止まる。
さっきまで外郭を押し広げていた鉄と魔法が、目に見えて後退していく。撃てば助けるべき者を傷つける。撃たなければ、生体兵器に囲まれる。
ノワルミアは、その中央で笑っている。
「見よ」
エグジラの全通信へ、彼女の声が流れる。
「妾の星は、妾を守る」
違う。
守っているのではない。
盾にされている。
生きている者の身体を外壁へ塗り込み、痛みを装甲にしている。
ノワルミアが一歩、前へ出た。
生体核へ埋まっていたはずの身体が、床へ降りる。
背中から伸びた管は切れない。
どこまでも伸び、壁と床へ溶けている。
彼女は右手を開いた。
赤紫の槍が生まれる。
「貴様らは、妾の盾を傷つけられぬ」
槍の先が私へ向く。
「されど妾は、使える」
投げられた。
ピュリファイアが前へ出る。
白い障壁が槍を受け、位相を外へ逸らした。赤紫の光が処刑場の壁へ突き刺さり、構造物が裂ける。
同時に、接続された誰かの生命が減った。
ノワルミアは、自分の攻撃に必要なマナまで星中から奪っている。
こちらは攻撃できない。
向こうは、数億人分もの生命を使って攻撃できる。
「お姉様、退路を」
「ないよ」
「作ります」
「壁を焼いたら、その傷も移る」
ピュリファイアが唇を結ぶ。
白い火なら接続だけを焼けるかもしれない。
けれど、さっき一度触れただけで、数億もの心拍が同時に揺れた。強引に切れば、生命維持まで巻き込む。
私の瘴気も同じ。
命令器官を殺すことはできる。
異常増殖を止め、兵器としての機能だけを選んで死なせられる。
でも、接続を切ったあとに残る身体が、自分で生きられるかは分からない。
自由にして、死なせる。
それは救出ではない。
ノワルミアが、もう一度槍を作る。
私は床へ手を当てた。
薄く。
攻撃ではなく、読むためだけに瘴気を広げる。
数億もの心拍。
呼吸。
神経。
エグジラから与えられ、奪われ、本人のものと区別できなくなった生命活動。
糸が絡みすぎている。
死なせる場所は見える。
そのあと、生かす方法が見えない。
「美しい」
背後から声がした。
スキップ博士。
いつの間にか玉座の脇から離れ、観測装置の前へ立っている。
ノワルミアの融合を止めようとも、私たちを助けようともしていない。
ペストマスクの黒いレンズが、私の足元へ広がる瘴気を向いていた。
「所有の極致と、選別の極致。星ひとつを盾にした経営者と、星ひとつから殺すべきものだけを探す魔女」
端末へ指を走らせる。
観測窓が何十枚も開いた。
私の生体マナ場。
ノワルミアとエグジラの接続。
接続された生命の心拍。
全ての数値が、博士の周囲へ集まっていく。
「さあ」
楽しそうな声だった。
「続きを見せてくれ」
観測装置の出力が、最大まで上がった。