23 三発目
第二十三話 三発目
腰の後ろから、最後の包絡弾を抜く。
薬莢には黒い線が巻かれていた。
一発目、反包絡。
二発目、貫通。
三発目、遅延復相。
補給庫で受け取ったとき、撃つ場所を誤れば人間も隔壁も見た目より酷く壊れると説明された。
今、隔壁の向こうには|此希《シキ》がいる。
「本当に、撃つ場所を選ぶ弾だなあ」
独り言へ返事はない。
背後では、救出した実験体たちが身を寄せ合っていた。開けた第一隔壁の先に、アレス軍の誘導ビーコンが点滅している。
「青い光を追って。外から来た兵士がいる」
「あなたは」
「壁を開けてから行く」
翼の片方しかない実験体が、黒い隔壁を見る。
「向こうは、崩れる」
「だから急ぐんだよ」
行って、と手を振る。
彼らはすぐには動かなかったが、一人が歩き出すと、残りも続いた。足を引きずる者を両側から支え、開いた通路の向こうへ消えていく。
誰かに命じられた隊列ではない。
互いを置いていかないための、遅い歩みだった。
最後の背中が見えなくなる。
ボクは右腕の装甲を開いた。
遅延復相弾を射出室へ入れる。
閉鎖。
安全装置解除。
視界へ警告が出た。
“第三弾装填”
“使用後、任務終了”
“直ちに帰還せよ”
「はいはい」
帰るために持たされた弾を、帰らなかった結果として使う。
報告書を書く人は困るだろう。
ボクも少し困っている。
◆
隔壁は厚さ二・八メートル。
表面は対包絡装甲。その内側にマナ遮蔽層、構造を支える格子状の主骨、最後に生体緩衝材がある。
遅延復相弾なら、表面をすり抜けられる。
問題は、どこで戻すか。
浅すぎれば外装だけを剥がし、深すぎれば向こう側へ抜ける。隔壁の先にいる|此希《シキ》へ通常相の弾体が飛べば、助けるための一発で殺すことになる。
端末を押し当て、内部構造を読む。
母船の切り離しが進み、表示は安定しない。隔壁全体が少しずつ傾き、主骨の位置も数秒ごとにずれている。
生体反応は、一つ。
隔壁から六メートルほど離れた場所で動いていた。
此希は生きている。
「壁から離れて!」
届かないと分かっていて叫ぶ。
拳で隔壁を三度叩いた。
硬い音が腕へ返る。
一秒。
二秒。
向こう側で銃声がした。
隔壁の右寄りへ、小さな復相衝撃が入る。此希の魔弾だ。厚い装甲を抜く威力はないが、内部走査に赤い波紋が広がった。
続けて二発目。
少し左。
三発目は、最初の二発より遠い床へ撃ち込まれた。
位置を知らせている。
自分はここから離れる、と。
「分かってるじゃん」
生体反応が左奥へ走る。
右側の主骨との間に、八メートル以上の空間ができた。
そこを撃つ。
ただし、隔壁を丸ごと爆破してはいけない。向こう側へ倒れれば、離れた此希まで押し潰す。狙うのは主骨と固定具の接続部。内側で復相衝撃を開き、隔壁をこちら側へ引き剥がす。
右腕を上げる。
照準補正。
復相深度、一・七メートル。
構造がまた傾く。
一・六四。
一・六八。
数値が揺れる。
待てば精度は落ちる。
急げば外す。
床の下で固定具が弾けた。
隔壁がこちらへ数センチ傾く。
今。
「撃つよ!」
返事の代わりに、向こう側でもう一発、銃声がした。
発射。
黒い弾体が右腕から飛び出す。
隔壁へ衝突する直前、周囲の輪郭が薄くなった。
弾体と装甲の接触がずれ、表面を浅くすり抜ける。対包絡層が波打ち、弾を通常相へ引き戻そうとした。
まだ。
遮蔽層へ入る。
包絡が削られる。
まだ保て。
主骨の接続部へ届いた。
復相。
隔壁の内側で、黒い弾体が世界へ戻った。
接続部が弾ける。
復相衝撃は外へ逃げず、装甲と主骨の間を走った。固定具が連鎖して外れ、巨大な隔壁が一枚の板としてこちらへ倒れてくる。
「うわっ」
左の脚部ジェットを噴かす。
右は遅れた。
傾いた身体を壁へぶつけ、倒れてくる隔壁の端から転がって逃げる。数トンの装甲が、さっきまで立っていた床へ落ちた。
通路が揺れる。
粉塵の向こうに穴が開いていた。
その先で、床がない。
切り離された区画が外郭側へ傾き、赤紫の壁面が崩れ落ちている。配管と床材が下へ吸い込まれ、遠くにエグジラ外部の戦火が見えた。
粉塵の向こうから咳が聞こえた。続いて、荒い呼吸。生きている。
|此希《シキ》は、残った床の端へリボルバーの銃身を突き立てていた。
片手でぶら下がっている。
「ずいぶん離れたね!」
「アンタが壁から離れろって言ったんだろ!」
「聞こえてたの?」
「何となくだ!」
床が割れる。
此希の身体が落ちた。
左ジェット。
遅れて右。
穴を飛び越える。
推力差で身体が回り、手が届かない。
此希がリボルバーを投げた。
反射で掴む。
違う。
そっちじゃない。
掴んだ銃を、穴のこちら側へ放る。床を滑ったリボルバーが、倒れた隔壁の手前で止まった。
空いた手を伸ばす。
指先。
手首。
掴んだ。
左のアームブレードを展開し、残った床へ突き立てる。基部が軋み、二人分の体重で刃が曲がった。
「上がれる?」
「上げろ!」
「元気だね」
脚部ジェットを短く噴かす。
此希の身体を先に穴へ押し上げ、続いてボクも床へ転がった。
背後で区画が完全に切り離される。
此希は床を滑っていたリボルバーへ手を伸ばし、胸元へ引き寄せた。
「武器より先に助けろ」
「投げたのはキミでしょ」
此希は仰向けのまま、荒い呼吸を繰り返した。
ボクも隣へ倒れる。
右腕の表示が消えている。
包絡弾、残数ゼロ。
脚部ジェット、右出力限界。
内部鍵は、隔壁を開けるために全権限を使い切った。
帰還条件は、きちんと満たした。
ただし、帰還路がない。
「なあ」
此希が横を向く。
「なんで助けた」
「ボクがそうしたかったから」
訳が分からない、という様子で。
「アタシは敵だった」
「さっき所属変更されたでしょ」
「そういう話じゃない」
「じゃあ、名前を聞いたから」
彼女は、肩透かしを食らったようだった。
「それだけで?」
それだけではない。
殺せたときに殺さなかった。
名前を答えられない顔を見た。
待てと言えなかった声を聞いた。
西第七培養区で、次の命令を待つ人も見た。
全部説明するには、崩壊中の通路はうるさすぎる。
「十分じゃない?」
此希は納得していない顔をした。
けれど、それ以上は聞かなかった。
自分の胸元へ手を当てる。首輪は残っている。それでも、表示はもう何も命じていない。
「|琴織《コトオリ》|此希《シキ》」
彼女が小さく言う。
「それ、アタシの名前らしい」
「うん」
「まだ、思い出せない」
「じゃあ、仮で」
「勝手に決めるな」
「キミが言ったんだけど」
此希は眉を寄せた。
少しだけ笑っていた。
立ち上がろうとしたとき、エグジラ全体が震えた。
壁の血管へ赤紫の光が戻る。
死んでいた通信端末が一斉に点灯し、幼い女の笑い声を流し始めた。
低く、長く。
涜船エグジラの全区画で、ノワルミア・オブリヴィオンが笑っていた。