MEKHANES NAVISメーカネース・ナーヴィス

25 作品たち

第二十五話 作品たち  観測装置の出力が最大へ上がる。  床へ広げた私の瘴気が、黒い格子に切り分けられた。  数億もの心拍へ伸ばしていた感覚が、一つずつ番号へ置き換わる。呼吸、神経活動、ノワルミアとの接続強度。私が命として読んでいたものを、スキップ博士の装置は観測値として並べていく。  「何をするつもり」  「観測だよ」  博士は端末から顔を上げない。  「君は殺す場所を選べる。心臓を避け、肺を避け、命令器官だけを止められる。実に精密だ」  ノワルミアが赤紫の槍を放つ。  ピュリファイアの白い障壁が軌道を逸らした。槍は床を裂き、接続された誰かの生命を削る。  反撃できない。  私たちが避け続けるほど、ノワルミアは星中からマナを奪い、新しい槍を作る。  「講義ならあとにして」  「あとでは極限条件が失われる」  「今は人が死んでる!」  「だから価値がある」  ペストマスクが私を向いた。  「失敗できないからこそ、君は答えを変える」  腹の奥が冷たくなる。  この人は分かっている。  ノワルミアが何をするか。  私が助けようとすることも。  今の力では足りないことも。  全部見た上で、装置の出力を上げた。  「博士」  ノワルミアの声が壁から響く。  「妾の障壁を解析せよ。あの白い火を潰せ」  「契約範囲外だ」  「貴様は妾へ出資した」  「研究設備と成果へね。経営者個人の延命へ追加投資した覚えはない」  幼い顔が歪む。  同じ側ではある。  同じものを見てはいない。  ノワルミアは完成したものを所有したい。  博士は完成という言葉そのものを疑っている。  「作品は、完成した時点で価値が定まる」  ノワルミアが言う。  「だから貴様は、完成せぬものばかり作るのじゃ」  「作者の予測どおりに完成した作品ほど、退屈なものはないとも」  「私たちを作品って呼ばないで」  けれど、どちらも人の身体を勝手に使う。  違いはある。  許す理由はない。  「ピュリ」  「分かっております」  ピュリファイアが私の前へ出た。  白い炎を花弁状に重ね、ノワルミアとの間へ広げる。攻撃ではない。赤紫の槍から指向性と強化だけを焼き、散ったマナを障壁で受け流している。  「長くは保ちませんわ」  「うん」  「博士を?」  「逃がさない」  青い瞳が一度だけ私を見る。  止めなかった。  「では、早めにお願いいたします」  スキップ博士が小さく肩をすくめる。  「人気者はつらいね」  観測窓を閉じた。  数値が一つの黒い結晶へ集まり、博士の掌へ収まる。  データを回収した。  次の瞬間、背後の空間に細い切れ目が開いた。  転送路。  「待て!」  「待つ理由がない」  博士が切れ目へ片足を入れる。  床へ瘴気を流した。  転送装置そのものは生きていない。けれど、位相を固定する三本の杭には、培養された演算組織が埋め込まれていた。  そこだけを殺す。  空間の切れ目が歪み、博士を吐き出した。  黒い靴が床へ戻る。  「おや」  「帰さないって言った」  「現在の身体はそれなりに高価でね。できれば持ち帰りたいのだが」  「知らない」  ◆◆  短い刃を作る。  博士は後退しながら、衣服へ巻かれたベルトを一本引いた。  留め具が外れ、黒い帯が床へ落ちる。  その影から、博士が三人立ち上がった。  同じペストマスク。  同じ黒い衣服。  心拍まで同じ。  「趣味悪い」  「悪役はだね。登場人数を水増しすると画面が華やぐんだよ」  四人が別方向へ走る。  生体反応では見分けられない。体温もマナ場も、観測装置が採取した博士自身の値を再現している。  なら、命を見る。  瘴気を薄く広げる。  三人には、呼吸に迷いがない。  心拍の揺れも、足裏へ血が集まる変化もない。動作を再生するために作られた生命で、自分が転ぶ可能性を考えていない。  壁際へ向かった一人だけが、床の亀裂を避けた。  「右!」  気弾を放つ。  博士は振り返らず、二本目のベルトを投げた。  帯が空中で円を作り、私の気弾を包む。拳の軌道を刻んだマナが円の中へ沈み、別の方向へ吐き出された。  処刑場の壁が砕ける。  遠くで誰かの心拍が乱れた。  ノワルミアの損傷転送は、まだ続いている。  攻撃を外しても、エグジラを壊せば誰かが傷つく。  「狭い盤面だろう」  博士が言う。  「君の攻撃は、私へ当てなければならない」  「分かってる」  「私は避ける」  「それも分かってる!」  床を蹴る。  片翼で身体を押し出す。博士は三人の偽物を私との間へ入れた。  刃を振らない。  最初の一人の肩を掴み、博士の逃げる方向へ投げる。偽物同士がぶつかり、黒い身体が二つ倒れた。  三人目が腕を開く。  胸部から細い針が撃ち出された。  避けきれない。  左腕に二本、脇腹へ一本刺さる。  針から熱が入った。  傷を作る薬ではない。  淫魔器官と一体化した生の機能を、強制的に活性化させる信号。  心拍が跳ねる。  傷口の細胞が一斉に増えようとし、死を司るマナ場がそれを異常として殺し始めた。  腹の奥で、生と死が噛み合わずに回る。  三年前の手術直後。  互いを異物と判断し、食い合っていた頃の反応を再現されている。  膝が落ちた。  「君の身体は統合されている。しかし、統合とは均一になったことではない」  博士が距離を取る。  「死と生は今も別の働きを持つ。君が釣り合わせているだけだ。ならば片方を過剰に押せば、均衡は崩れる」  「自分で……私の体に教えたんでしょ」  「だから、よく知っている」  博士の手には新しい転送杭があった。  本当に逃げるつもりだ。  私を倒して観測を続けるのではない。  必要なデータを持ち帰り、次の場所から続きを見るつもりでいる。  死ぬ気などない。観測結果も身体も持ち帰るために、面倒な仕掛けを何重にも用意している。  立たないと。  腹部へ手を当てる。  生の機能が暴走している。  殺せば抑えられる。  でも、全部殺せば私の身体がもたない。  今までは、交互に使っていた。  増えすぎる細胞を死なせる。  死によって傷んだ場所を、生の機能で修復する。  片方ずつ。  必要な場所へ。  今は速すぎる。  死なせてから直すのでは、次の暴走に追いつかない。  ――それなら、同時に。  同じ流れの中で。  増殖命令だけを殺し、細胞が本来持っていた修復を返す。  薄桃色の瘴気を、自分の腹部へ入れる。  死。  強制活性の信号が止まる。  そのすぐ隣へ、生体マナを繋ぐ。  生。  過剰に増やすのではない。  針を刺される前の呼吸と心拍を、身体へ思い出させる。  二つを切り替えない。  死なせながら、返す。  腹部の痛みが変わった。  消えたのではない。  暴走ではなく、傷の痛みに戻った。  立てる。  「ほう」  博士の声が弾む。  転送杭を床へ突き立てながらも、黒いレンズは私を見ている。  「同時処理か」  「嬉しそうにしないで」  「無理な相談だ」  私は腕へ刺さった針を抜く。  床へ落ちた針は、まだ活性信号を発していた。瘴気で内部の培養組織を殺し、今度は何も返さない。  道具に返す命はない。  博士の偽物が立ち上がる。  胸部の針を再装填している。  その向こうでは、転送路が開き始めていた。  「ピュリ!」  「承知しておりますわ」  白い炎が天井を走る。  ノワルミアの槍を逸らしながら、細い一条だけが転送杭へ伸びた。杭そのものではなく、博士の認証情報を焼く。  転送路が揺れる。  博士は即座に別の鍵を取り出した。  準備がいい。  逃げる気も、生きる気もある。  偽物が私へ針を撃つ。  今度は避けない。  瘴気を前へ出す。  針の中の培養組織を殺す。包絡を失った針が軌道を落とし、床へ突き刺さった。  そのまま偽物へ接続する。  生命を読む。  人の形をしているが、自分で維持する機能を持たない。博士の端末から命令とマナを受けなければ、数分で崩れる身体。  接続だけを殺す。  黒い三人が、同時に倒れた。  本物だけが残る。  ◆◆  「見事」  「黙って」  距離を詰める。  博士が右手を振ると、観測窓が実体を持った。  黒い透明板が何層も現れ、私との間を塞ぐ。表面には、さっきまでの戦闘記録が流れていた。  私が踏み込む位置。  刃を振る角度。  片翼で崩れる重心。  博士は観測した私の動きを、障壁の形に投影している。  右へ行けば、右に壁ができる。  跳べば、着地点へ針が出る。  一歩ごとに先回りされる。  「君は良い戦闘者だが、癖がある」  「三年前から見てるものね」  「正確には、五年前から記録している」  右へ踏み込むふりをする。  障壁が右へ寄った。  左へ。  次の障壁が出る。  予測どおり。  私は止まった。  博士も止まる。  「どうした?」  「私を見すぎ」  瘴気を床へ落とす。  狙うのは博士ではない。  観測装置。  そこへ繋がる生体演算網。  博士の障壁は、私の動きを観測して先回りする。複雑でも、狙うべき中心は一つ。観測値を整理し、次の形を決める器官がある。  見つけた。  死を流す。  黒い透明板の表示が乱れた。  右へ寄るはずの障壁が、左へ開く。  博士の転送路も、同時に消えた。  「これは困った」  声は笑っている。  身体はすぐに動いた。  博士が腰から短い刃を抜く。  金属。  マナを使わない、細身の実体剣。  私の喉へ真っ直ぐ来る。  速い。  研究者の動きではない。  短いマナ刃で受ける。  重さで押された。  博士は剣を引かず、鍔元で私の刃を潰しにくる。固体化マナの弱点を知っている。  左手を離す。  空いた掌を博士の胸へ当てる。  服の下に、複数の心臓があった。  一つではない。  予備の循環器。  マナ供給器官。  脳と独立して身体を動かす補助神経節。  人の形をしているだけ。  殺しにくいよう作られた身体。  「観察は終わり?」  「まだだとも」  博士の膝が腹へ入る。  息が抜け、掌が離れた。  続けて剣。  頬を掠める。  床へ血が落ちた。  博士は転送装置の代わりに、壁の非常通路へ向かう。  逃げる。  私は追う。  ノワルミアの槍が二人の間へ落ちた。  「博士! 妾を置いてどこへ行く!」  「投資先が焦げ付いたので撤退する」  「貴様!」  「経営責任は経営者へ帰属する。次の共同研究では分担を明確にしよう」  非常通路の扉が開く。  博士が滑り込む。  「次があればだがな!」  私も腕を入れ、閉じる扉を止めた。  実体装甲が肘を挟む。  痛い。  博士が内側から剣を突く。  肩へ入った。  それでも腕を抜かない。  瘴気を扉の制御組織へ流し、閉鎖命令を殺す。  扉が開く。  博士の剣を肩に刺したまま、身体ごと中へ入った。  「執念深い」  「恨む権利があるんでしょ」  「もちろん。行使を止めた覚えはない」  博士が剣から手を離す。  衣服のベルトを全て外した。  黒い帯が非常通路へ広がり、壁と床へ食い込む。転送杭ではない。爆薬でもない。  生体マナを吸う拘束場。  身体が重くなる。  肩へ刺さった剣から血が流れ、瘴気の形が崩れる。  博士は反対側の扉へ走る。  まだ逃げる。  死ぬつもりなどない。  「返せ」  自分の身体へ言う。  拘束場に奪われるマナを止めるのではない。  黒い帯と私を繋ぐ接続を殺す。  同時に、出血で弱った肩へ生の機能を返す。  傷を塞ぎきる必要はない。  腕が動けばいい。  死と生が、一つの流れになる。  黒い帯が枯れる。  右肩の筋肉へ力が戻る。  刺さった剣を抜いた。  投げる。  博士の左脚を貫いた。  転ぶ。  それでも博士は立とうとした。  脚から剣を抜き、床へ手をつく。黒い血が流れている。  「痛いものは痛いと言ったはずだが」  「手早くしてほしいとも言った」  「それは以前の話だ。今は撤回する」  博士が最後の端末を床へ叩きつける。  空間が白く弾けた。  視界が消える。  転送ではない。  観測情報を焼き切るための閃光とマナノイズ。  耳に入るのは、ノイズだけ。  目も使えない。  でも、生きている場所は分かる。  博士の複数の心臓。  補助神経節。  逃げるために動く筋肉。  全部を殺せばいい。  違う。  心臓を一つ止めても、予備が血を送る。  補助神経節を潰しても、別の器官へ制御を渡す。  見えている部品を順番に殺していたら、この人が用意した仕掛けに付き合うことになる。  必要なのは、部品ではない。  離れた器官へ同じ意思を送り、予備の循環を一人分の生命として同期させている統合中枢。  博士を、この身体の中で一人の博士として繋いでいる場所。  瘴気で心拍を一つずつ追う。複数の鼓動は独立しているように見えて、収縮の直前に同じ微弱な信号を受け取っていた。補助神経節も、その信号に従って次に使う器官を選んでいる。  見つける。  瘴気を伸ばした。  白いノイズの中で、博士の身体が止まる。  「そこか」  博士の声。  驚きではない。  確認。  それでも、抵抗した。  博士は補助心臓を一つ切り離し、そこへ統合信号を移す。囮ではない。一瞬だけ、本当に別の器官を身体の中心として動かし、私の瘴気から逃れようとしている。  追う。  死を流そうとして、床の下を横切る別の接続へ触れた。  ノワルミアの徴収線。  遠くの実験体から生命を奪い、生体核へ運ぶ流れが、博士へ伸ばした瘴気と交差している。  今までは、死を流す線と、生を読む線を別々に扱っていた。  今回は分けない。  一つの瘴気の中で、行き先だけを二つにする。  博士の統合中枢へは、死を。  徴収線へ流れていた生命は、持ち主へ。  さっき右肩を傷つけられた実験体の、弱くなった心拍を捉える。私が新しい生命を作るのではない。その人から奪われ、ノワルミアへ運ばれていた分を、来た道へ押し戻す。  行き先を戻すだけ。  心拍が、一度強く打った。  博士の統合中枢へ、死が届く。  彼女の身体が膝から崩れた。  白いノイズが消える。  ペストマスクが床へ向いている。  両手はまだ動いていた。  博士は胸元の装置へ触れようとする。  逃走用か。  延命用か。  どちらでもいい。  私は背後へ回り、首へ腕をかける。  「終わり」  「いや」  博士の指が装置へ届く。  潰す。  黒い端末が床へ落ちた。  「始まりだ」  笑い声が上がった。  低く。  大きく。  非常通路だけではない。  処刑場の観測装置からも、同じ声が響いた。  博士は最後まで身体を捻り、私の腕から逃れようとする。  本気で。  生きるために。  それでも、もう中心は死んでいる。  補助心臓が一つずつ止まる。  指から力が抜ける。  「同時に、流したのか」  博士が掠れた声で言う。  「死を、こちらへ。生を、持ち主へ」  「あなたのおかげみたいに言わないで」  「言わないとも」  ペストマスクが、わずかにこちらを向く。  「これは、君の成果だ」  腹が立った。  腕へ力を込める。  首の骨が折れた。  博士の身体から、最後の心拍が消える。  笑い声だけが、観測装置に残っていた。  私は死体を床へ寝かせる。  この身体は死んだ。  それで十分だった。  ◆  処刑場へ戻る。  ピュリファイアの白い障壁は薄くなっていた。  ノワルミアは槍を作り続けている。  けれど、一つだけ変わっていた。  通信窓の中。  右肩を押さえて倒れていた実験体が、自分で呼吸している。傷は残っている。血も止まりきっていない。  それでも、ノワルミアへ吸われる前より心拍は強い。  私が返した生命を、本人の身体が使っている。  瘴気を床へ流す。  さっきより遠くへ。  数億もの接続が見える。  ノワルミアへ向かう線。  奪われていく生命。  命令と痛み。  その全ての隣に、逆向きの道がある。  死で切るだけではない。  奪われたものを、持ち主へ返す。  一本の線へ触れる。  接続が死ぬ。  同じ流れの中を、生命が戻っていく。  次の一本。  その次。  薄桃色の瘴気が、星の血管へ入った。  死と生が、初めて一つの循環として流れ始める。