19 お茶の時間ですわ
第十九話 お茶の時間ですわ
「交渉中に失礼いたしますわ」
ピュリファイアの声は、処刑場へよく通った。
白い火が通信窓の縁を焼き、エグジラの赤紫の制御膜を押し広げていく。力任せではない。
膜の外側から燃やすのではなく、認証鍵、接続経路、偽装された所有権の記述だけを選んで消していた。
浄火。
焼くべきものを間違えない、彼女の魔法。
「誰が割り込みを許した」
ノワルミアが低く言う。
玉座の周囲で壁の血管が脈打ち、通信窓へ赤紫のマナが集まった。遮断するつもりだ。
けれど、白い火は消えない。
ピュリファイアは画面越しに、静かに頭を下げた。
「許可をいただきに参ったわけではございませんので」
相変わらず、礼儀正しく失礼だった。
処刑台へ縛られたまま、私は息を吐く。笑ったら腹の傷が痛む。それでも、口元が勝手に動いた。
来た。
もう待たなくていい。
「貴様、どこから繋いでおる」
「全星系へ開かれた公開回線ですわ。ノワルミア・オブリヴィオン様ご自身が、たいへん大きく扉を開いてくださいました」
「閉じろ」
エグジラの機械音声が応答する。
『遮断不能。外部浄化干渉により、回線制御の一部が焼失』
ノワルミアの顔から、幼さに似た余裕が消えた。
「何の用じゃ。妾は交渉条件を提示している」
「ええ。拝見しました。撤退、賠償、所属放棄、所有権承認。どれも大変よくできた脅迫文でしたわ」
「人質の命が惜しくないか」
「人質?」
ピュリファイアの青い瞳が、細くなる。
彼女が少しだけ横へ退いた。
画面の奥は、白い医療区画だった。夢船ピュアコットンではない。壁の構造が違う。コーポ・アレスの救護艇か、それに近い艦内区画だろう。
薄い毛布。
低いテーブル。
湯気の立つカップ。
その前に、小さな子が座っている。
黑入鹿いおど。
髪は少し乱れている。頬には消毒の跡があり、首元には包帯。ピュリファイアの外套を肩からかけられ、両手でカップを持っていた。
生きている。
映像ではなく、通信越しの現在として。
「人質でしたら」
ピュリファイアが、いつもの丁寧な声で告げる。
「こちらで甘いものを食べておりますわ」
いおどの前には、小さな皿がある。
パンケーキではない。さすがにそんな余裕はなかったのか、丸い焼き菓子が二つ乗っていた。
片方は、すでに少し欠けている。
私は呼吸を忘れた。
拘束具がなければ、膝から崩れていたかもしれない。
よかった。
その言葉だけで、頭の中がいっぱいになる。
「お師匠様」
いおどが画面を見る。
泣きそうな顔をしている。けれど、泣いていない。
カップをテーブルへ置き、両手を膝の上で握った。
「わたし、無事です」
声は小さい。
それでも、全星系へ届いた。
「ルノフェットさんが、連れていってくれました。ほかの子も、いっしょです。お医者さんに診てもらっています」
胸の奥が熱くなる。
ルノフェット。
やってくれた。
あの子たちも。
いおどだけではなく、置いていかなかった命も。
いおどは首元の包帯へ、そっと手を当てた。
「痛いけど、平気です。怖かったけど、もう一人じゃありません」
そこで一度、言葉が詰まる。
ピュリファイアが背後から、いおどの肩へ手を置いた。急かさない。代わりに言わない。ただ、倒れないよう支えている。
私がここへ来る前、彼女が左腕のバングル越しに言った言葉を思い出す。
『助けを求めることを、恥じないでください』
今、いおどもそれをしている。
怖いまま、画面の向こうで立っている。
「お師匠様」
いおどは、もう一度私を呼んだ。
「パンケーキ、五枚です」
場違いな言葉だった。
全星系公開回線。
処刑台。
企業間戦争の開戦直前。
それでも、私の中では何より正確な合言葉だった。
帰ってくること。
朝を取り戻すこと。
まだ焼いていない、パンケーキの約束があること。
「……増やしすぎ」
声になったかどうか、自分でも分からない。
いおどは、ほんの少しだけ笑った。
「それから」
いおどは一度、ピュリファイアを見る。
ピュリファイアは何も言わずに頷いた。
「わたしは、ノワルミアさんのものじゃありません」
処刑場が静まり返った。
その一言は、私のどんな反論よりも強かった。
ノワルミアが資産と呼び、商品価値を口にし、処分をちらつかせた相手が、自分の声で否定した。
「お師匠様も、そうです」
いおどの声が震える。
「お師匠様を返してください」
目の奥が熱い。
泣くな。
今は泣くな。
ノワルミアに見せる涙ではない。
「偽物じゃ」
ノワルミアが言った。
「映像細工だ。妾の管理映像では、黑入鹿いおどは今も拘束台におる」
玉座の背後へ、例の監視映像が拡大される。
白い台。
細い腕。
呼吸器。
同じ鼓動を刻み続ける、私が残した偽物。
スキップ博士が、肩を震わせた。
笑っている。
「何がおかしい」
「いや。見事だと思ってね。偽心拍を見抜かれないよう置き土産にして、本人はとっくに搬送済み。救出対象の生命反応を消し、偽装反応だけを敵の目に残す。実に現場向きの発想だ」
博士が拍手する。
ぱち、ぱち、と乾いた音が響いた。
「黙れ、スキップ」
「君も褒めるべきだよ、ノワルミア。これは君の設備を使った詐術だ。よくできている」
「黙れと言うておる!」
玉座の肘掛けが潰れた。
赤紫のマナが処刑場全体へ走り、拘束具が締まる。
喉が圧迫された。
声が出ない。
ノワルミアは私を見る。
「貴様」
怒りが、初めて顔に出ていた。
「いつから」
答えられない。
首の拘束具が食い込んでいる。
けれど、答える必要もなかった。
ピュリファイアが代わりに言う。
「少なくとも、あなたが人質を握っていると信じて脅迫なさっていた間には」
「貴様ら、条件を破れば処刑すると――」
「ええ。ですから、条件の前提が崩れました」
ピュリファイアは、ゆっくりと手袋を直した。
怒っている。
声が乱れない分だけ、深く。
「オブリビオン・インダストリーズによる児童拉致、生命維持装置を用いた脅迫、保護対象への生体改造未遂、ならびに幻想公司所属職員の不当拘束を確認。証言者は黑入鹿いおど様。記録は全星系公開回線へ保存済みです」
彼女の背後で、別の窓が開く。
いおどの生命反応。
搬送時刻。
保守港から救護艇へ収容された際の記録。
コーポ・アレス救出班の認証印。
次に、私が偽装した拘束台の心拍が並んだ。
波形はよく似ている。
けれど、完全すぎた。
六歳の子供が恐怖と薬剤の後で刻む心拍ではない。
乱れない。呼吸と連動しない。私が急いで作った偽物は、人を騙すには足りても、全星系の専門家へ晒すには綺麗すぎた。
ピュリファイアは、その弱点を責めなかった。
「カワイイスパイスお姉様が残した偽反応は、救出対象を守るための緊急措置でした。これをもって、オブリビオン側の監視映像は人質の所在証明として成立しません」
青い瞳が、ノワルミアをまっすぐ射抜く。
「あなたが握っていると思っていた命は、もうあなたの手の中にありません」
通信窓の別枠に、幻想公司の紋章が浮かぶ。
続いて、コーポ・アレスの識別章。
硬い男の声が重なった。
『コーポ・アレス統合艦隊、救出対象の安全確認を受領。独自作戦時計を開示する。全艦、待機解除』
さらに別の声。
若い女の声だった。
『幻想公司魔法少女隊、追跡術式の救援条件達成を確認。対象、カワイイスパイス。生存。拘束状態。救援優先度、最大』
処刑場の全ての通信窓が、白い火を帯びる。
その一つで画面が大きく揺れた。ピュリファイアは証拠送信を救護班へ引き継ぎ、いおどへ外套を残したまま救護艇を飛び出している。白い炎を足場に、通信を繋いだまま中央塔へ向かっていた。
ピュリファイアが小さく息を吸った。
「わたくしたちは、待ちました」
その言葉は、私へ向けられていた。
「あなたがいおど様を救うまで。あなたが合図を送るまで。あなたの約束を、信じて待ちました」
それから、ノワルミアへ向き直る。
「ですから今度は、わたくしたちの番です」
待機していた。
やはり、私の合図だけではない。
ルノフェットが潜り、いおどを渡し、アレスが自分たちの線で救出を確認した。その結果が、今ここでピュリファイアの通信と重なった。
味方は、私一人の物語では動いていなかった。
ノワルミアが叫ぶ。
「エグジラ外郭、全砲台起動! 周辺宙域を封鎖せよ!」
『敵艦影、確認不能』
機械音声が返す。
「確認不能とは何じゃ!」
『背景系深度、異常。複数のマナ滑走反応が通常空間へ接近中』
通信窓の一つが、星図へ切り替わった。
エグジラの周囲は、何もない暗黒に見える。
そこへ、青白い線が走った。
一本ではない。
何十、何百。
背景系の奥から、艦隊が浮かび上がってくる。
コーポ・アレスの重装艦。実体装甲を幾重にも重ねた灰色の船体が、通常空間へ復相する前から影を落としている。
その間を、白や桃色の光が滑る。
幻想公司の魔法少女隊だ。
艦隊の前面へ、巨大な円形障壁が展開された。魔法少女たちのマナが重なり、薄い花弁のような層を作る。その後ろで、アレス艦の砲門が一斉に開いた。
魔法と鉄。
ようやく、同じ方向を向いた。
「外郭砲台、撃て!」
ノワルミアの命令と同時に、エグジラの地表が赤紫に光る。
通信窓の向こうで第一波のマナ砲撃を幻想公司の障壁が外へ流し、開いた射線へアレス艦の包絡弾が飛び込んだ。次の瞬間、エグジラ外郭の障壁が内部から破裂した。
処刑場まで振動が届く。
私を固定する支柱が軋んだ。
ノワルミアは玉座の前で立ち尽くしている。
初めて。
彼女の目が、私ではなく外を見た。
「妾の星へ、触れるな」
声は低かった。
けれど、もう脅迫の声ではない。
怒りだ。
焦りだ。
人質を失った支配者が、ようやく戦場へ引きずり出された。
「処刑を始めろ」
その命令で、骨刃が動いた。
白い刃ではない。
赤紫の骨刃が、私の首へ向けてゆっくり降りてくる。
ピュリファイアの通信窓が、私を見る。
「お姉様」
その声だけが、騒音の中でまっすぐ届いた。
「もう少しだけ、目を閉じずに」
「無茶言うね」
掠れた声で返す。
首の拘束が少しだけ緩んでいた。艦隊の第一撃で、処刑台の制御が乱れたのだろう。
ピュリファイアの口元が、ほんの少しだけ動く。
いつもの微笑みに近い。
「お姉様ほどではございませんわ」
通信窓が白く燃えた。
同時に、処刑場の天井で光が弾ける。
赤紫の血管が焼き切れ、装甲板の継ぎ目だけが白く浮かび上がった。
ノワルミアが見上げる。
天井の中央へ、細い火線が走った。
円を描く。
ゆっくり。
正確に。
切り取られた装甲が、内側へ落ちるより早く白い炎に包まれて消えた。
その向こうに、蒼い瞳があった。
ピュリファイアが、白い炎をまとって降りてくる。