20 浄火
第二十話 浄火
ピュリファイアが、白い炎をまとって降りてくる。
処刑台へ向かって落ちるのではない。
空中で膝を折り、踵の下へ小さな魔法陣を重ね、階段を降りるように高度を殺していた。
その動作が、やけに綺麗だった。
戦場のど真ん中で、社交場へ入ってくるみたいに。
青い瞳が、一度だけ私を見た。
生きているか。
意識はあるか。
折れていないか。
たぶん、そういう確認。
私は首の拘束具へ押さえつけられたまま、できるだけ目を細める。
見ての通り、と。
ピュリファイアは、ほんの少しだけ眉根を下げた。
怒っている顔より、そちらのほうが刺さる。
「殺せ!」
ノワルミアの声。
骨刃が落ちる。
処刑台の上から見れば、ゆっくりだ。逃げる身体があれば避けられる。大鎌があれば受けられる。せめて首を捻れれば、切断面をずらせる。
どれもできない。
刃の赤紫が視界を埋める。
白い火が割り込んだ。
ピュリファイアが、私と刃の間へ手を差し入れる。手袋の先で、骨刃へ触れた。
焼ける音はしない。
骨刃が燃えたのではなく、刃と私の生体マナ場を結ぶ処刑用の接続だけが白く浮かび上がった。
赤紫の線。首、胸、腹、背骨へ伸びる細い糸。
それが一斉に燃える。
刃は、ただの骨になった。
私の首へ触れる直前で止まり、重さに耐えきれず横へ崩れる。
「貴様」
ノワルミアが踏み込む。
親衛個体も動いた。
四体。
斧、杭打ち機、マナ砲、爪。
ピュリファイアは振り向かない。
「少々お待ちくださいませ」
誰に言ったのか分からない。
私か。
ノワルミアか。
それとも、彼女が怒鳴り散らす戦場全体か。
彼女は左手で円を描いた。
白い炎が床へ走り、処刑台を囲む薄い壁になる。
親衛個体の斧がぶつかった瞬間、斧そのものは燃えず、斧へ流れていた赤紫のエンハンスだけが消えた。
重い金属の塊に戻った斧が、床へ沈む。
「装備を燃やしておらぬだと」
ノワルミアの声に、初めて戸惑いが混じる。
「壊すべきものを壊しているだけですわ」
ピュリファイアは、私の前に立つ。
近い。
三年前、誰も来なかった距離。
白い照明。
拘束具の音。
呼吸の仕方を忘れた身体。
そこへ、今は彼女の背中がある。
「お姉様」
「……はい」
返事が変な声になった。
「目を閉じないでくださいませ」
「さっきも聞いた」
「大事なことは何度でも申し上げます」
ピュリファイアが右手を上げる。
白い火が、私の首の拘束具へ触れた。
怖い。
反射で、身体が固まる。
拘束具の内側から、三年前の音がする。
かちり。
聞こえるはずがないのに。
もう閉じているのに。
「違う」
自分へ言う。
ここは手術台じゃない。
処刑台だ。
いや、処刑台も駄目だ。
そうではなく。
ここには、ピュリファイアがいる。
白い火は、首輪を焼かない。金属は熱くならない。皮膚も焦げない。
代わりに、首輪の内側へ編み込まれた赤紫の線だけが見えた。
私の身体からマナを剥がす線。
拘束具へ繋がった、恐怖反応を増幅させる線。
生体マナ場を処刑装置へ固定する線。
ピュリファイアは、その一本一本へ指を当てる。
「切れば、痛むものがあります」
「どれ?」
「あなたと拘束具を結んでいる命令経路です」
「痛いのは慣れてる」
「慣れなくて結構です」
白い炎が、少し強くなる。
「ですが、今回は我慢してくださいませ」
「結局どっち?」
「今だけです」
燃えた。
痛みは、刃物ではなかった。
針を一本ずつ抜かれるようでもない。もっと奥。身体の中に勝手に通されていた糸を、誰かが丁寧に焼き切っていく感覚。
痛い。
でも、違う。
奪われる痛みではない。
返される痛みだ。
首が軽くなる。
次に、両手首。
拘束具そのものは閉じたままなのに、手の中へ血が戻ってくる。指先が熱い。痺れがほどけ、爪の感覚が戻った。
「っ」
息が漏れる。
泣きそうになった。
やめて、ではない。
もう少し。
あと少し。
「お姉様」
ピュリファイアの声が近い。
「ここにおります」
白い照明が遠ざかる。
拘束具の音は、まだ耳に残っている。
でも、その上から彼女の声が重なる。
「三年前には間に合いませんでした」
炎が、肩の接続を焼く。
「今回は」
肘。
「ここにおります」
腰。
「だから」
足首。
「帰りましょう」
最後の線が切れた。
拘束具が、ただの金属になる。
力を込める。
右手首の固定具が軋んだ。反包絡場が消えたわけではない。まだ処刑台の杭は生きている。それでも、私の身体を直接縛っていた命令はもうない。
指を曲げる。
薄桃色のマナが、爪の先へ戻った。
大鎌は作れない。
まだ場が邪魔している。
でも、拳なら作れる。
右手を握る。
金属が割れた。
◆
最初に自由になった右手で、首輪を掴む。
力任せに引き千切る。
喉が開いた。
空気が入る。
咳き込む。
ピュリファイアが残りの拘束具へ浄火を走らせ、左手、腰、足を順に外した。
支えを失い、膝が落ちる。
床へ倒れる前に、彼女が受け止めた。
ふわりと、やわらかい香りがした。
「遅い」
最初に出た言葉が、それだった。
もっと他にある。
ありがとうとか。
ごめんとか。
心配かけたとか。
全部、喉の奥で詰まって、ひどく可愛げのない言葉だけが出た。
ピュリファイアは、私を支えたまま目を細める。
「単騎で来いと言われたのは、あなたでしょう?」
「そうだった」
「わたくしは、条件違反の時刻を慎重に選んだだけですわ」
まったくだ。私の指示通りじゃないか。
「屁理屈」
「救援作戦です」
笑うと、胸が痛い。
痛いのに、息ができる。
「いおどは」
「安全圏へ搬送済みです。ルノフェット様も生存。ほかの収容者も、確認できた範囲では保護されています」
「良かった」
「ええ」
短い返事。
「あなたはどうなの」
ピュリファイアの手に、少しだけ力が入った。
「さあ?」
彼女も、怖かったのだと思う。
私を待つこと。
いおどの映像を全星系へ出すこと。
突入の時刻を選ぶこと。
どれか一つ間違えれば、誰かが死んだ。
それでも、彼女は来た。
「ありがとう」
ようやく言えた。
ピュリファイアが、目を伏せる。
額が一瞬だけ触れた。抱き締め直す時間はない。それでも彼女の呼吸が震え、私の身体を支える腕が温かいことは分かった。
すぐさま、親衛個体の斧が白い炎の壁を割った。
「あとで、もう一度伺います」
「今聞いて」
「戦闘中ですので」
火は消えない。
けれど、外からエグジラのマナが流れ込み、焼かれた強化線を次々に繋ぎ直している。
ノワルミアが玉座の前で手を広げていた。
胸の傷はまだ塞がっていない。
それでも、エグジラ全体の怒りが彼女へ流れ込んでいる。
「妾の処刑台で、妾の資産を奪うか」
「資産じゃないって、さっき全星系へ流れたでしょ」
声を出すだけで、喉が痛む。
けれど、言える。
「往生際が悪いよ」
「貴様にだけは言われとうない」
それは、少し正しい。
ピュリファイアが私の背中から手を離す。
「立てますか」
「立つ」
左膝が震える。
右肩は痛い。
脇腹も裂けている。
マナは少ない。
でも、立てる。
薄桃色の翼を一度だけ出し、姿勢を支える。片方はまだ欠けたまま。もう片方も羽根が散り、形が不安定だ。
それでも、私のものだ。
ピュリファイアが隣へ並ぶ。
白い衣装。
白い炎。
青い瞳。
昔から、彼女は綺麗に戦う。
私はたぶん、そうではない。
大鎌を作ろうとする。
反包絡場が残った空間では、長い刃は維持できない。柄が生まれ、すぐに崩れる。
なら、短く。
手の内だけへ、薄桃色の刃を作る。
鎌というより、曲がった小刀。
「心許ない」
「わたくしが補います」
「いつも通り?」
「ええ。いつも通りですわ」
背中合わせになる。
三年前の魔法少女隊では、何度もそうした。
あの頃は、私が前へ出て、ピュリファイアが後ろから浄火で味方の異常を焼いた。
今は、少し違う。
私は壊れた身体で立っている。
彼女は私を救いに来た。
それでも、背中の温度だけは変わらない。
「親衛個体四。ノワルミア。処刑台。天井の穴から追加が来る」
「外では連合軍が交戦中。長居はしたくありませんわね」
「じゃあ、逃げる?」
「あなたが素直に逃げますの?」
「少し考えた」
「採用してくださいませ」
「ノワルミアが邪魔」
「では、押し通ります」
ピュリファイアが右手を開いた。
白い火が、花弁の形で広がる。
「浄火、展開」
親衛個体のマナ砲が撃たれる。
白い火が正面で広がり、赤紫の砲撃の中から誘導命令だけを焼いた。行き先を失ったマナが散り、熱だけが処刑場へ降る。
私はその中を走る。
足元がおぼつかない。
でも、走る。
杭打ち機の親衛個体が前へ出た。
三年前と似た黒い杭。
見た瞬間、身体が止まりかける。
背中から白い火が飛ぶ。
杭の先端ではなく、杭と親衛個体の腕を繋ぐ駆動命令を焼いた。軌道がずれる。
たった半歩ぶんのずれ。
十分だ!
私は懐へ入り、短い刃を親衛個体の脇へ差し込む。
死を流す。
全身ではない。
再生を支える管だけ。
親衛個体の右半身が崩れ、床へ膝をついた。
「左!」
ピュリファイアの声。
見ずに屈む。
爪が頭上を通る。
背後で、白い炎が跳ねた。爪へまとわりついていた強化包絡が焼かれ、親衛個体の腕が自重で流れる。
私は振り返りざま、喉へ掌底を入れる。
マナは乗せられない。
ただの打撃。
それでも首の骨格が歪み、一瞬だけ動きが止まった。
ピュリファイアの火線が、停止した個体の背中へ伸びる。
再接続だけを焼かれ、親衛個体が床へ沈んだ。
「二体」
「数える余裕がありますのね」
「余裕はない。確認」
ノワルミアが手を振る。
床下から、新しい管が伸びる。
倒れた親衛個体へ接続しようとしている。
させない。
私が瘴気を糸にして床へ這わせる。
ピュリファイアの白火が、その上へ薄く重なった。
薄桃色と白。
二本の線が絡む。
二人の力が重なり、管の成長も再接続も止まる。
管は、床から数センチ伸びたところで黒く枯れた。
「便利」
「あなたの力ですわ」
「ピュリの火もでしょ」
「では、共同作業ということで」
言葉の終わりへ、ノワルミアが飛び込んできた。
速い。
さっきより傷ついているはずなのに、星の怒りを燃料にしている。
爪が私へ向かう。
ピュリファイアが割り込もうとする。
間に合わない。
私は受けずに踏み込んだ。
爪が肩を裂く。
痛い。
でも、捕まらない。
ノワルミアの懐へ頭から入る。
額を、彼女の胸の傷へぶつけた。
「がっ」
ノワルミアが息を詰まらせる。
雑。
魔法少女の戦いではない。
今はそれでいい。
ピュリファイアの白い火が、ノワルミアの背後へ回り込む。本人を焼かない。彼女とエグジラを結ぶ一時接続だけを狙う。
ノワルミアは即座に身を引いた。
白火を避けるため。
私から離れるため。
そこへ、処刑場全体が大きく揺れた。
外からの衝撃。
艦砲ではない。
もっと近い。
母船外郭へ、何かが激突した。
通信窓の一つが、勝手に映像を映す。
エグジラの装甲大地へ、コーポ・アレスの強襲艇が突き刺さっていた。先端の包絡杭が外郭障壁を内側へ押し込み、開いた穴へ重装歩兵が飛び込んでいく。
その上空を、幻想公司の魔法少女隊が白や桃色の軌跡を引いて滑っていた。
防衛線へ、連合軍の第一陣が触れた。
触れただけではない。
食い込んでいる。
ノワルミアの顔が歪む。
「妾の星に」
エグジラの壁が脈打つ。
「土足で」
親衛個体が残り二体、私たちの前へ出る。
天井の穴からは、新しい影が降りてくる。
サキュバス。
ハーピィ。
黒い翼の生体兵器。
私は短い刃を握り直す。
ピュリファイアが背中へ触れる。
「お姉様」
「何?」
「帰ったら、いおど様のパンケーキは五枚です」
「本当に増やす気?」
「もちろん。約束ですもの」
こんなときに。
笑ってしまった。
喉も胸も痛い。
でも、笑えた。
「じゃあ、帰らないと」
「ええ」
白い火が強くなる。
薄桃色の瘴気が、私の足元へ戻ってくる。
処刑台は、もう私を縛っていない。
外では戦争が始まった。
ここでは、まだ救出が終わっていない。
私はノワルミアを見る。
「そこ、どいて」
ノワルミアが笑う。
赤紫の血で汚れた口元。
「通れるものならな」
ピュリファイアが背中で囁いた。
「参りますわ」
私も頷く。
「行こう!」
二人で、前へ出た。