08 兎とガンスリンガー
第八話 兎とガンスリンガー
女の右手が、リボルバーのグリップへ添えられる。
ボクの迷彩はまだ生きていた。
壁の色も、赤い警報灯の明滅も、潜入服の表面へ遅れなく流れている。呼吸を止め、うさみみも伏せた。空気の動きまで抑えている。
それでも女は、ボクの顔がある位置を見ていた。
ヘーゼルの瞳が細くなる。
「所属を提示しろ」
低い声だった。
誰何の言葉は発しているが、警備端末へ照会をかける様子がない。こちらの返事を待ってもいなかった。
親指が撃鉄を起こす。
ボクは床を蹴った。
銃声が二つ重なる。
一発はさっきまで頭があった壁へ突き刺さり、もう一発は跳んだ足元を掠めた。赤紫の光が薄い外皮を裂き、その下の金属骨格を溶かす。
近い。
射出から着弾まで、ほとんど加速する距離がなかったはずだ。
それでも通常弾よりずっと重い。銃身が長く、弾体へ最初から高い圧力を与えているのだろう。
床を転がりながら短銃を抜き、二発撃った。女は避けない。
左手を上げると、半透明の障壁が開いた。実体弾が表面へ当たり、硬い音を立てて潰れる。
反発障壁。マナ攻撃へ使うには薄いが、拳銃弾を止めるには十分だった。
ボクの迷彩が解除される。
急な動きには表面処理が追いつかない。
黒い潜入服も、作業帽に押し込んでいたうさみみも、赤い照明の下へ晒された。
女の視線が耳へ動く。ほんの一瞬、驚いたように見えた。
「見つかっちゃった」
返事はない。
リボルバーの銃口だけが、胸の中心へ向いた。
ボクは保守扉の陰へ飛び込む。
背中が壁へ触れるより早く、三発目が角を削った。
続けて三発。
撃ち方が変わる。
一発目は扉の縁。二発目は床。三発目は向かいの壁。
どれも外れたように見えた。
うさみみが、壁の向こうを走る高い振動を拾う。
ボクはその場から跳んだ。
床へ入った魔弾が浅い角度で復相し、赤紫の光となって跳ね上がる。
保守扉を貫き、さっきまでボクの腰があった場所を横切った。
「跳ねるんだ」
独り言へ答えるように、壁へ撃ち込まれた二発目が来る。
アームブレードを展開。
黒い実体刃で受けるのは無理だ。刃を壁へ突き立てて身体を引き上げ、天井すれすれへ逃げる。
赤紫の光が足元を通過した。
少し遅れて、三発目が前方から戻ってくる。
身体を捻る。
頬が熱くなった。掠っただけで潜入服の表面が焼け、マナ焼けの痺れが奥歯まで走る。
女は、まだ最初に立っていた場所から動いていない。
大型リボルバーには六発。
最初の二発は直接。残りの四発は、ボクが隠れたあとに通路そのものへ撃ち込んだ。
見えていなくても、逃げ道へ弾を置ける。
厄介だ。もっと厄介なのは、いまの三発を撃つ前から、彼女が反射角を知っていたことだった。
この通路で戦う訓練を受けている。
いや。
通路のほうが、この女に合わせて作られているのかもしれない。
空になったリボルバーの円筒が開く。好機。
刃を抜いて床へ落ち、脚部ジェットを点火した。踵の後ろで短い爆発が起き、身体が保守扉を抜ける。
女まで十二メートル。弾を込め終わる前に届く。
そう思った。
彼女は空薬莢を捨てなかった。
円筒から抜けた六本が宙へ浮き、通路の壁へ吸い込まれる。
代わりに腰の装具から新しい弾がせり上がり、一度に装填された。
生体マナによる補助。指が円筒を戻す。
速い。
銃口が上がる。
まだ近い。魔弾は育たない。
撃たれる前に、右のアームブレードを振るった。
女は半歩だけ退き、銃身で刃を受ける。大型リボルバーの下部には、実体刃を受けるための補強が入っていた。
金属が噛み合う。
ボクは左刃を脇腹へ返したが、透明な障壁に触れた刃先を横へ滑らされた。
そのまま女の膝が上がった。腹へ入る前に腰を引く。
避けた先へ、硬い踵が飛んできた。
腕で受ける。
骨まで響いた。
銃だけではない。
こちらの接近を嫌がっているように見せて、近距離の動きも仕込まれている。
女がリボルバーを引く。
撃つ気配。
ボクは銃身を左手で押さえ、上へ向けた。
銃声が頭上で鳴る。
赤紫の光は天井へ突き刺さらず、表面を滑った。
まずい。
手を離し、女の肩を蹴って後ろへ跳ぶ。
天井を走った魔弾が加速しながら通路の奥へ消える。どこへ戻ってくるか、すぐには分からない。
女は追わなかった。
空いた左手が壁へ触れると、通路の前後で隔壁が開いた。一枚だけではない。
二十メートル先、四十メートル先、その向こう。普段は区画を分けている分厚い隔壁が順番に左右へ退き、曲がり角まで壁の一部が沈んでいく。
短かった連絡路が、百メートル以上の直線へ変わった。
「なるほど」
彼女は近距離が苦手なのではない。必要な長距離を作れる。
女がこちらへ銃口を向けた。
今度は一発でいい、とでも言いたげだ。
◆
脚部ジェットを噴かし、横へ飛ぶ。
発射炎が見えたときには、銃口の正面から外れていた。
魔弾はボクがいた場所を通り、開放された隔壁の列を抜けていく。外れたが、安心はできない。
あれは飛び続ける。
百メートルの直線を稼ぎ、通路の奥で十分に加速してから、彼女の決めた角度で戻ってくる。
女は三発目を撃つ。
今度は右壁。
四発目は床。
五発目は左壁。
ボクを直接狙っていない。
長い通路の中へ、未来の射線を一本ずつ置いている。
「性格悪いなあ」
女の眉がわずかに動いた。
聞こえてはいるらしい。
ボクは短銃を撃つ。障壁へ二発、足元へ一発。
足元の弾だけ、女が避けた。
回避は最小限だった。右へ半歩。重心は崩れず、銃口もこちらから外れない。
同じ動きだ。初めに刃を振ったときも、半歩だった。
命令された射撃位置を守っている。
こちらの攻撃が致命傷になる距離だけ避け、それ以外は障壁で処理する。
合理的ではあるが、自分の身体を使う者の判断ではない。
首輪から伸びた細い管が、背中の装具へ脈打つ。
黒い輪の表面に文字が走った。
“射撃座標維持”
“侵入個体を東区画へ接近させるな”
命令が見える。
女の顔に反応はない。
「キミ、それ読めてる?」
答えの代わりに銃口が胸へ向いた。
ジェットで前へ出る。
近づけば威力は下がる。彼女も分かっているから、同時に後退した。
距離が縮まらない。
こちらが一度噴かす間に、彼女は床の補助マナ場へ靴底を接続し、滑るように下がっていく。
リボルバーを撃つたび、反動まで後退へ利用していた。
後ろから振動が迫る。さっき外れた一発目が戻ってきた。
右へ避ければ、壁へ置かれた二発目の射線へ入る。
下がれば距離を与える。
前しかない。
脚部ジェットを最大まで開く。
炎が床を焼いた。
正面の魔弾へ向かって飛び、直前で身体を横へ倒す。
光が胸のすぐ横を通った。潜入服の装甲が焼ける。
女が六発目を撃つ。
銃口はボクではなく、さらに奥の壁へ向いていた。
次の円筒が開き、また六発が装填される。
このままでは、通路が弾で満ちる。
腰の後ろに三発の包絡弾。
反包絡弾なら、彼女の障壁を壊せる。
貫通弾なら、隔壁ごと射線を潰せる。
使わない。三発目を撃った時点で帰れという命令は、三発あるから三回助かるという意味ではなかった。
撃つ場所が決まっている。少なくとも今は、まだ違う。
通常弾倉を交換する。
彼女が再装填を終えるより、こちらがわずかに早い。
障壁へ全弾。
十二発の実体弾が、一点へ続けて当たる。
マナ障壁はマナ攻撃を逸らすのが得意でも、質量のあるものを何度も受ければ揺らぐ。透明な面へ白い亀裂が広がった。
女は障壁を捨て、左へ動く。
やはり半歩。
円筒が戻る。
再装填完了。
そこへ短銃を投げた。
彼女が撃つ。
投げた銃が魔弾に貫かれ、部品を撒き散らした。
その陰へ身体を隠し、ジェットを噴かす。
距離、八メートル。
女の銃口が、ボクの腹へ下がる。
右刃で銃身を払う。発射された魔弾が床へ入り、足元が赤く爆ぜた。
距離、三メートル。
左の障壁が戻る。左刃を当てても切れず、押し切れない。
だから、右足を障壁へ乗せた。
脚部ジェットを点火。
実体を持つ足と噴射の圧力が、透明な面を押し込む。障壁は魔法の壁であっても、支えているのは彼女の生体マナ場だ。
女の上体が初めて傾いた。
ボクは障壁を踏み台にして跳び、頭上を越える。
着地と同時に振り返る。
右のアームブレードを首へ。
黒い刃が、日焼けした皮膚へ触れる寸前で止まった。
首輪のすぐ上。
女も動きを止めていた。
リボルバーは背後へ向けられない。左手の障壁も間に合わない。こちらが刃を引けば頸動脈、押せば首輪ごと神経束を断てる。
殺せる。
ボクの任務は、いおどの所在特定。
彼女は東区画を守る敵で、ここで排除すれば先へ進みやすい。
迷う理由はなかった。
なのに。
首輪の文字が更新される。
“近接防御失敗”
“被害許容”
“射線維持”
女の右腕が動いた。ボクへ銃口を向けるのではない。
刃を首へ当てられたまま、長い通路の奥へ撃とうとしている。
自分が死んだあとも届く射線を作るために。
表情は変わらないが、怖くないはずがない。
喉が小さく動いた。刃へ触れる皮膚に汗が浮いている。瞳孔は開き、呼吸も浅い。
身体は怖がっている。
命令だけが、それを無視していた。
ボクは刃を引いた。
女の肩を蹴り、距離を取る。
同時に、エグジラ全体が大きく揺れた。
外郭から重い音が届く。
壁を走っていた赤い光が一斉に明滅し、通路の照明が消えた。
脚部ジェットの残光だけが、女の顔を下から照らす。
開いていた隔壁が動く。一枚目が閉じ、長い射線を断った。
二枚目は途中で止まり、三枚目は逆に全開になる。壁へ沈められていた曲がり角も戻り始め、一本だった通路がいくつもの短い区画へ分かれていく。
外郭の魔女が、何かを壊した。
偶然にしては、ずいぶん親切だ。
女の首輪へ赤い文字が走る。
“外郭第九迎撃圏へ電力転用”
“侵入個体追撃”
“追撃”
同じ命令が繰り返される。
彼女はリボルバーをこちらへ向けた。
けれど、撃たない。
ほんの一瞬だけ、銃口が止まった。
自分の首へ触れる。
ボクが刃を引いた場所を、確かめるように。
その目に、初めて迷いが見えた。
「借りにしておいて」
ボクは開いた横道へ飛び込む。
背後で銃声が四つ重なった。
遅い。
そう思った直後、うさみみが通路の奥から複数の振動を拾った。
いま撃った弾ではない。
彼女が照明の消える前に置いていた魔弾。
長い距離を稼ぎ、壁と床を何度も跳ね、十分に加速した光が戻ってくる。
逃げ込んだ横道の前方が、赤紫に染まった。