10 名前は
第十話 名前は?
逃げ込んだ横道の前方が、赤紫に染まった。
魔弾は一発ではない。
壁の中を走る振動が重なり、うさみみの左右で反響する。長い通路を使って十分に加速した弾が、別々の角度から同じ横道へ戻ってきていた。
後ろにはガンスリンガー。
前には、彼女が先に撃っておいた弾。
行儀よく挟まれた。
脚部ジェットを噴かす。
前へ。
赤い光が見えた瞬間、左のアームブレードを壁へ突き立てた。刃を支点に身体を跳ね上げ、天井へ両足をつく。
一発目が真下を通る。
二発目は左壁から。
刃を抜く勢いで身体を回し、壁と平行になるまで倒した。
避けた。
三発目。
見えない。
耳が拾った復相音へ、右腕を出す。
障壁は使えない。ボクのマナ出力では、ここまで育った魔弾を正面から止められない。代わりにアームブレードの腹へ薄い包絡を沿わせ、接触の位置だけを外へずらす。
赤紫の光が刃を掠めた。
右腕が跳ね上がる。アームブレードの表面が剥がれ、潜入服の肩口まで焼けた。
それでも、胴体へは入らない。
四発目が床から来る。
避ける場所がなかった。
「本当に性格悪いなあ!」
開きかけていた保守口へ刃を差し込み、無理やり引き上げる。身体を丸めて隙間へ滑り込ませた直後、足元を魔弾が抜けた。
右の靴底が消し飛ぶ。
熱が踵へ届き、脚部ジェットの警告が視界へ表示された。
『右噴射器出力低下』
『推力偏差、二十一パーセント』
まだ使える。
左右同時に噴かすと右へ曲がるだけだ。
保守口の中を這う。
狭い。両肘を交互に出さなければ進めず、うさみみを伏せても天井へ触れる。
背後で銃声。
女が保守口へ撃ち込んだ。
魔弾は狭い管の中で逃げ場を失う。壁へ浅く触れるたび、赤紫の光がこちらへ近づいてくる。
ボクは右のアームブレードを縮め、左だけを展開した。
前方の保守蓋へ突き立てる。
一度では抜けない。
二度。
留め具が飛ぶ。
蓋ごと下の通路へ落ちた。
身体を捻って穴から出る。着地する余裕はない。左ジェットを先に噴かし、遅れて右を開いた。
予想どおり右へ流れる。
流された先で床へ肩から落ち、転がった。
保守口から魔弾が飛び出す。
今度は避けられた。
赤紫の光は向かいの壁を貫き、奥にあった培養管を破裂させる。透明な液体と、まだ形の定まらない翼が床へこぼれた。
「撃ったの、そっちだからね」
返事はない。
代わりに、天井の照明が一列ずつ点いた。
さっき外郭の衝撃で落ちたばかりなのに、復旧が早い。赤い非常灯ではなく、白い戦闘照明だった。前後の隔壁も開き、また直線が作られていく。
電力が戻ったわけではない。
外郭へほとんどを持っていかれた残りを、この女の射撃区画へ集めている。
通路の奥に、彼女が立っていた。
走って追いついた様子はない。
壁の輸送路か、床の補助マナ場を使ったのだろう。こちらが迂回している間に先回りされていた。
首輪の文字が増えている。
“侵入個体の東区画到達を阻止”
“防衛出力上限解除”
“生存性を考慮しない”
最後の一行は、彼女自身についてだ。
「キミ、ずいぶん大切な場所を守ってるんだね」
リボルバーの銃口が上がる。
「そこに、さらってきた子がいる?」
撃たれた。
質問には答えない。
右へ避ける。壊れかけたジェットが予想より強く噴き、身体が壁へぶつかった。
距離は五十メートル。
あの弾が戻ってくる前に、近づかなければならない。
女の左手が前へ出る。
障壁が開いた。
前に見た薄い一枚ではない。
半透明の境界面が何層も重なり、通路を端から端まで塞いでいる。床と壁へ接続された、最大出力の反発障壁。
女は障壁の後ろから撃てる。
自分の魔弾だけを通し、こちらの実体弾と刃を弾くよう、接触条件が組まれていた。
短銃はもうない。
あったとしても、通常弾では抜けない。
左右のアームブレードを畳む。
腰の後ろへ手を回した。
三発の包絡弾。
赤い緩衝材へ埋められたうち、最初の一本を抜く。弾底の刻印は、反包絡。
右腕の射出室へ弾を押し込み、装甲を閉じる。
残り二発。
帰るための数が、一つ減った。
女が撃つ。
障壁を通過した魔弾が加速を始める。
こちらも右腕を上げた。
狙うのは女ではない。
障壁の中央。
発射。
反動は小さい。
黒い弾体がマナ包絡をまとい、半透明の壁へ触れた。
音はしなかった。
障壁の層が、世界との繋がりを解かれて外側から消えていく。
通路を塞いでいた光が崩れた。
役目を終えた弾体が床へ落ち、二度跳ねた。
女は無傷。
けれど、遮るものもない。
ボクはジェットを噴かした。
右が弱い。
左を絞り、出力差を合わせる。
正面から来る魔弾は、反包絡弾とすれ違った一発。狙いは撃たれた時点の胸だ。
腰を沈める。
頭上へ光が抜けた。
距離、三十メートル。
女が二発目を撃つ。
右へ。
距離、二十。
三発目は床。
まだ跳ねない。育つ前に通り過ぎる。
十メートル。
女が障壁を張ろうとする。
左手の前へ光が集まったものの、反包絡弾で乱されたマナ場が形を許さない。
右のアームブレードを展開。
女は銃身で受けようとした。
刃を途中で止める。
受けるはずだったリボルバーが空を切った。
左足を踏み込み、肩から体当たりする。彼女の身体を壁へ押しつけ、右手首を左刃の柄で固定した。
リボルバーが床へ落ちる。
右刃を首へ。
同じ位置。
首輪のすぐ上で、黒い刃が止まった。
「二回目」
彼女の呼吸が荒い。
今度は命令に従って撃つこともできない。右手は固定され、左手には障壁を作るだけのマナが残っていない。
殺せる。
さっきより簡単に。
女の首輪へ文字が流れる。
“近接防御失敗”
“実験体廃棄許可”
“敵性個体を巻き込み自壊せよ”
背中へ伸びた管が膨らんだ。
女の目が見開かれる。
今度は、隠しきれない恐怖だった。
ボクは右刃を首輪の下へ滑らせる。
管を切れば止められるか。
分からない。
信号線だけではなく、生命維持や神経補助も兼ねているかもしれない。十九日間、この星で似た装置を見てきた。勢いで外して助かった例は、一つもない。
なら、切れない。
女の背中で管が脈打つ。
自壊まで、何秒。
首輪の文字が崩れた。
“実験”
“――”
“自――”
赤い表示が消える。
同時に、通路の照明が桃色へ染まった。
霧。
床と壁の継ぎ目から薄桃色の瘴気が滲み、首輪から伸びた管へ触れている。
管の中で、何かが死んだ。
女は自壊しなかった。
遠くから走ってきていた複数の足音も止まる。
うさみみを立てると、武器が床へ落ちる音、戸惑う呼吸、命令を失った兵士たちが互いを呼ぶ声が聞こえた。
監視端末が一斉に暗くなる。
外郭の魔女。
また助けられた。
本人は、たぶん知らない。
「本当に親切だなあ」
刃を引く。
女の手首も離した。
彼女は反撃しなかった。
壁へ背中をつけたまま、消えた首輪の表示を見ようと目を下げている。右手は空中で止まり、床のリボルバーを拾うべきか迷っていた。
命令がない。
追撃。
射撃座標維持。
自壊。
次に何をすればいいのか、どこにも書かれていない。
「所属は?」
聞くと、女の口がすぐに動いた。
「オブリビオン・インダストリーズ外郭防衛部、東区画射撃個体」
回答は滑らかだった。
「階級」
「該当なし」
「識別番号」
長い英数字が返ってくる。
まだ、そこまでは覚えている。
覚えているというより、呼び出せる情報なのだろう。
「任務は?」
「東区画へ侵入する敵性個体の排除。搬送対象の監視。逃亡時の四肢破壊」
搬送対象。
「黒い髪の子供?」
「該当する」
「どこへ運んだ?」
女の瞳が小さく動く。
「中央搬送路から四系統へ分岐。東二区画、心肺模倣槽。西第七培養区。南部医療庫。北部廃棄層」
四つ。
いおどの記録を四つに分けた場所と一致する。
「本物は?」
「情報がない」
嘘をついている様子はなかった。
彼女も知らされていない。
質問を変える。
「名前は?」
女が口を開く。
答えは出なかった。
「識別番号じゃなくて。キミの名前」
「東区画射撃個体」
「それは仕事」
「オブリビオン・インダストリーズ外郭防衛部」
「それは所属」
「実験体分類、半人半魔。射撃適性、特級」
「それはキミを作った側の都合」
女の眉が寄る。
強気に睨み返そうとして、視線が途中で揺れた。
「名前」
急かさず、もう一度だけ聞いた。
彼女の唇が動く。
音にならない。
喉へ手を当てる。声が出ないのではなく、そこへ入れる言葉が見つからない。
「分からない」
初めて、用意されていない答えが返ってきた。
声は小さかった。
「そっか」
ボクは腰を落とし、床へ落ちたリボルバーを拾う。
女の肩が強張った。
撃たない。
円筒を開き、残っていた魔弾を抜く。空になった銃を彼女の足元へ置いた。
「思い出したら教えて」
首輪を調べる。
制御用の管は死んでいるが、監視端末へ繋がる細い線が一本だけ残っていた。アームブレードの先を差し込み、被膜だけを裂いて中の線を切る。
首輪そのものには触れない。
「外すのは、ちゃんと設備があるところでね。いま引き抜いたら、たぶん死ぬ」
彼女は返事をしなかった。
ただ、足元のリボルバーではなく、ボクの顔を見ている。
こちらも、ようやく落ち着いて彼女を見た。
年齢はボクと同じくらいだろうか。
日焼けした肌。ヘーゼルの髪。気の強そうな眉。命令どおりに動いていたときより、迷っている今のほうが、ずっと人間らしく見える。
「ボクはルノフェット」
女の目がわずかに開く。
「ルノ、フェット」
「うん。名前を聞いたから、先に名乗っておく」
通路の奥で警報が戻り始めた。
瘴気の影響が薄れている。
止まった監視網も、別系統へ切り替われば復旧する。命令を失った兵士たちが、また繋がれるかもしれない。
急がなければ。
東二区画へ向かう扉は、女の後ろにある。
「そこ、通るね」
彼女は避けなかった。
ボクが横を抜けても、空のリボルバーへ手を伸ばさない。
十歩ほど進む。
「ぁ……」
背中から声が来た。
振り返る。
女は何かを言おうとしていた。
ここに置いていくな。
一緒に連れていけ。
名前を探してくれ。
どれかもしれないし、全部違うかもしれない。
唇が動いても、続きは出なかった。
ボクにも、残る時間はない。
「死なないで」
それだけ言って、東二区画へ走った。
◆
心肺模倣槽は、三つ先の区画にあった。
瘴気で監視網が止まっている間に、女から聞いた搬送経路を辿る。
隔壁は半分ほど閉じかけていたが、脚部ジェットを片側ずつ使えば滑り込めた。
右踵は焼け、右肩には魔弾を受け流した痺れが残っている。
包絡弾は二発。
いおどの生命反応は近い。
薄い端末を取り出す。
四つの生体署名が、エグジラの東西南北に表示されていた。
脈拍。
呼吸。
体温。
生体マナの揺らぎ。
全て同じ。
東の反応は、この扉の向こうにある。
生体認証は死んでいた。
アームブレードを扉の隙間へ差し込み、左右へ押し開く。
冷たい空気が流れ出した。
白い部屋の中央に、小さな培養槽がある。
子供一人が入る大きさ。
表面は曇り、中に何がいるのか見えない。
端末の反応は間違いなく、その槽から出ていた。
心拍が聞こえる。
六歳の子供と同じ速さ。
呼吸に合わせ、培養液の表面が上下している。
「いおど?」
返事はない。
槽へ近づく。
表面の曇りを手袋で拭った。
中に子供はいなかった。
肉の塊へ、小さな心臓と肺が繋がれている。周囲の管が決められた間隔で空気を送り、培養液を温め、生体マナへ細かな揺らぎを与えていた。
生きている。
けれど、いおどではない。
端末を確認する。
東の生命反応が、目の前の肉と同期している。
装置の横に、停止命令が表示された。
“侵入確認”
“模倣終了”
「待って」
管が閉じる。
心臓が止まった。
肺の動きも、培養液の波も、同時に消える。
端末上で、東のいおどが死亡した。