05 魔女の条件
第五話 魔女の条件
夢船ピュアコットンが、見る間に小さくなっていく。
薄桃色の霧に包まれた船体は、遠目には菓子のようだった。
外殻に開いた穴も、焦げた埠頭も、ここからでは見えない。
操縦席の警報は、まだ鳴っている。
『直ちに停船してください』
『当機は発進許可を得ていません』
『指定航路から離脱しています』
知ってる。
警告を三つとも閉じ、ノワルミアから送られた座標を航法装置へ入力する。
古い機体なので、端末を指でなぞるのではなく、物理キーを一つずつ押さなければならない。
押すたび、硬い音がした。
少し、落ち着く。
「本当に飛ぶのかな、これ」
独り言へ、機体が低い振動で答える。
旧魔法少女隊専用、高速連絡機。
愛称は、スプーン。
桃色で、小さくて、敵陣へ突っ込む魔法少女を運ぶ。
誰が名づけたかは知らない。
たぶん、空腹だったのだと思う。
航法装置が計算を終える。
涜船エグジラまで、マナ航路を三本。
二度の位相接岸。
通常なら、中継宇宙港で補給が必要になる距離だった。
この機体に積まれているマナ燃料では足りない。
通常なら。
私は左腕を上げる。
古い変身バングル。
桃色の表面に、幻想公司の紋章。
三年前より、少し窮屈になっていた。
「私が出せば、行けるよね」
機体のマナ受容器を開く。
瘴気が吸い込まれた。
船外に漂っていた薄桃色の霧が、機体後部へ集まってくる。治療のため、夢船全体へ広げていた私の力。
今は、それを燃料にする。
出力表示が上昇した。
四十。
七十。
百二十パーセント。
警告。
無視。
航法装置が、目的地への到達を可能と判定した。
「よし」
操縦桿を握る。
そのとき、変身バングルが熱を持った。
故障かと思い、腕から外そうとする。
桃色の表面に、白い火が灯った。
『やはり、気づきましたわね』
「ピュリ?」
白い炎が、ピュリファイアの横顔を形作る。
姿は不鮮明。
通信というより、幻影に近い。
『気づかなければ、エグジラへ着いてから声をかけるつもりでした』
「これ、追跡術式?」
『正確には追跡、通信、生命監視を兼ねた複合術式です』
「いつ付けたの?」
『バングルを保管庫へ移したときに』
つまり。
会議が始まる前には、もう。
「私が行くと思ってた?」
『思っておりませんでしたわ』
「嘘」
『行くと知っておりました』
ピュリファイアの幻影が、こちらを見る。
表情までは分からない。
でも、たぶん。いつもの、少し呆れた顔。
「格納庫の古い権限も?」
『偶然です』
「保守通路の警備が空いてたのも?」
『人員不足ですわ』
「高速連絡機に燃料が入ってた」
『整備士の勤勉さに感謝なさい』
やっぱり。
止め方が甘かったんじゃない。
通した。
「それ、会社に怒られない?」
『すでに怒られております』
「早いね」
『無許可発進から二分も経っておりますもの』
思わず笑った。
笑ったあとで。
胸の奥が、少し痛くなる。
このまま。
ピュリファイアの顔を見るのは、最後になるかもしれない。
『お姉様』
「何?」
『勝手に死ぬことは許しません』
「分かってる」
『捕まるのも』
「それは、ちょっと約束できないかな」
幻影の白い火が、大きく揺れた。
怒ったらしい。
「ノワルミアの目的は私だよ。中へ入るには、捕まったふりくらい必要かもしれない」
『ふりで済まなかったのが三年前でしょう』
「今度は違う」
『何が?』
すぐには答えられなかった。
身体は強くなった。
【特異】もある。
でも。
医療区画で動けなくなった。
反包絡杭を見ただけで、呼吸すらできなくなった。
何が違う。
「今度は、待ってる人がいる」
ピュリファイアは何も言わない。
「いおども。ピュリも。施設の皆も。だから、帰る」
『……そう』
白い炎が静かになる。
『では、条件があります』
「条件?」
『いおど様を確保するまでは、こちらから動きません。艦隊も、魔法少女隊も、あなたを追わせない』
ノワルミアは連合軍が動けば、いおどの生命維持を止めると言った。
こちらの出撃を検知する手段が、本当にあるかは分からない。
ただの脅しという可能性もある。
試すわけにはいかない。
「うん」
『いおど様を確保したら、この術式へ合図を。信号を確認次第、幻想公司は救援行動へ移ります』
「救援で済む?」
『状況によります』
柔らかい言い方。
たぶん、救援では済まない。
幻想公司は、三年前からオブリビオンと戦っている。
コーポ・アレスも、会議へ参加するより前から、エグジラの戦力を調べていた。
私の出撃とは関係なく。
皆、それぞれの時計で動いている。
「アレスは?」
『どうでしょう。詳細は、わたくしにも知らされておりません』
「追跡術式の情報は?」
『共有しておりません。これは、わたくしとあなたの線です』
幻想公司とコーポ・アレス。
目的は同じ。
でも、同じ手段で動く必要はない。
「分かった」
『もう一つ』
「まだあるの?」
『通信が途絶えても、合図が遅れても、わたくしは待ちます』
白い炎が、私の左手を包む。
熱くない。
誰かに、手を握られているみたいだった。
『ですから、お姉様も。助けを求めることを、恥じないでください』
喉が詰まる。
返事をすると、声が震えそうだった。
「条件、多くない?」
『お姉様が素直でしたら、一つで済みます』
「善処します」
『信用なりませんわ』
少しだけ。
いつもの会話に戻った。
◆
第一航路への接岸点が近づく。
肉眼では見えない道が、航法装置の中で青白い糸の束となって星々の間を曲がっている。高速連絡機の周囲へ薄い包絡が形成され、計器には包絡安定、背景時同期、接岸角度は許容範囲との表示が並んだ。
『接岸まで、六十秒』
機械音声。
ピュリファイアの幻影は、まだ左腕にいる。
「滑走へ入ったら?」
『通信は切れます。追跡術式も、復相するまで現在位置を取得できません』
「完全に一人ってことね」
『怖いですか?』
考える。
怖い。
エグジラも。
ノワルミアも。
また捕まることも。
一人になることも。
「うん」
素直に答えた。
『それでよろしいかと』
「怖がってていいの?」
『恐怖を失った魔法少女から、順番に帰ってこなくなります』
三年前の私は。
一人で十分だと笑った。
怖くても。
笑わなければならないと思っていた。
『接岸まで、三十秒』
変身バングルへ触れる。
「ピュリ」
『はい』
「行ってきます」
幻影が微笑んだ。
今度は、分かった。
『行ってらっしゃいませ』
白い火が消える。
操縦席が静かになった。
『十秒』
前方の星が、線へ伸びる。
『五、四、三』
操縦桿を握る。
『二、一。滑走』
世界が横へ落ちた。
◆
夢を見た。
いおどが、パンケーキを三枚食べている。
私は二枚までと言う。
いおどは目を隠しながら、四枚目へフォークを伸ばす。
ピュリファイアが、なぜか台所で炎を上げていた。
いつもの朝。
襲撃が来なかった朝。
目を覚ます。
機体は第二中継点の手前で、自動航行を続けていた。
眠っていた時間は、通常時計で四十分。
背景時では、三時間が経過している。
残り十五時間。
喉が渇いていた。座席脇の保存食を開けると、固いビスケットと水、りんご味の栄養剤が入っている。偶然にしては出来すぎていた。袋の裏には、小さな文字で“全部食べること”。
「ピュリだな」
命令違反をして、機体まで盗んで、敵の主星へ向かっている。それでも食べろと言われたことがおかしくて、少し笑った。ビスケットはあまり味がしなかったけれど、ちゃんと食べられるだけ食べた。
◆
最後の航路を抜けると、復相警告が鳴った。
船体を包んでいたマナ包絡が薄くなり、通常空間との接触が戻ってくる。
星の光、暗闇。
そして。
涜船エグジラ。
視界へ収まらない。
前方にあるのに、地平線が見えた。
黒い外殻の上へ都市が築かれ、塔と砲台が大地から生える角のように並んでいる。
赤紫の光が脈打つたび、谷に見える放熱溝から大量の蒸気が噴き上がった。
惑星ではない。
生き物でもない。
その両方を、無理やり船の形へ押し込めたもの。
ここに、いおどがいる。
変身バングルが震えた。
ピュリファイアではない。
赤い文字。
『指定航路を維持せよ』
ノワルミアからの誘導信号。
高速連絡機の操縦系へ、外部から接続を試みている。
許可しない。
手動操縦へ切り替える。
指定航路から、わずかに外れると、正面のマナ砲台が動いた。
追従し、戻せば砲口の動きが止まる。
「単騎で来たんだから、歓迎くらいしてよ」
返事はない。
代わりに、通信が開く。
ノワルミアの声だ。
『遅かったのう』
「期限内でしょ」
『妾を待たせた』
「六歳の子をさらっておいて、礼儀を語るの?」
小さな笑い声。
『よい。その減らず口ごと、取り戻してやろう』
通信が切れた。
誘導表示が変わる。
エグジラ外郭。
巨大な接岸施設。
出撃を禁じられた会議で、何度も拡大して見た場所。
周囲に、十二基のマナ砲台。
その中央へ、高速連絡機一隻分の進路だけが開いている。
着艦すれば、囲まれる。
降りなければ、いおどへ届かない。
迷う理由はなかった。
「変身」
左腕のバングルへ触れる。
桃色の光が、操縦席を満たした。
三年ぶりの衣装。
身体へ沿う装具。
背中に、薄桃色の翼。
右手へマナを集める。
一瞬後には、相棒の大鎌が形を成す。
輪郭が定まり、重さのない柄が掌へ収まった。
私は高速連絡機の進路を接岸施設へ固定する。
速度を上げる。
『警告。着艦速度を超過』
着艦するつもりはない。
代わりに、操縦席を開く。
真空。変身衣装の障壁が、身体を包む。
機体の外へ立つ。
エグジラの地平線が、目の前に広がっていた。
「いおどを助けるまで」
左腕。
追跡術式へ触れる。
「誰も来ないで」
白い火が、一度だけ灯った。
返事を確認して、機体を蹴った。
薄桃色の翼を広げる。
高速連絡機は囮として、指定航路を進み続ける。
私は、その下を滑るように飛んだ。
接岸施設まで、二十キロ。
遠距離から撃てば、マナ弾は十分に加速する。
ノワルミア側も。
私も。
最初の一撃が届くまで、数秒。
エグジラの外殻が開いた。
黒い穴から、何かが溢れ出す。
ハーピィ。
ワイバーン。
翼を持つドラゴノイド。
百か、千か。
数える意味なんて、ないな。
星の光が、黒い翼に覆われていく。
私は大鎌を構えた。
「上等よ」