27 清算
第二十七話 清算
ノワルミアが掻き消えた。
赤紫の残光が、正面から左へ折れる。
目で追うより早く、私は大鎌を生成し、柄を短くした。振り向かず、背中側へ刃を立てる。
衝撃。
固体化マナの刃が軋み、薄桃色の粒子を散らした。受け止めたのは爪ではない。黒い実体槍だった。
「貴様、無理をしておるな?」
言うまでもない。
ここが最終局面だ。すべて、出し切る。
敵の槍は、柄も穂先も鈍い金属光沢を持っている。玉座の下に格納していたのか、ノワルミアは自分の背丈を大きく超える槍を片手で振り抜いていた。
重い。
質量を持たない大鎌では、正面から押し返せない。刃の境界面を斜めにして受け流すが、槍にまとった赤紫の包絡がこちらの位相へ食い込み、逃がすはずの力を腕まで伝えてくる。
右肩の傷が開いた。
握力が抜ける。
ノワルミアは、そこを見ていた。
槍を引かず、柄を滑らせる。石突きが私の脇腹へ入った。
息が潰れた。
足が床から離れる。
片翼を開き、吹き飛ばされる方向を変える。背中から壁へ叩きつけられる代わりに、床を二度転がった。立ち上がる前へ穂先が来る。
大鎌を消す。
両手を床へつき、身体を横へ投げる。黒い穂先が髪を切り、処刑場の床へ突き刺さった。
刺さった場所を中心に亀裂が走る。
エグジラの悲鳴が、足元から響いた。
ノワルミアは槍を抜く。以前のように、壊れた床から誰かの痛みを徴収することはできない。傷を移す相手も、失ったマナを補う星もない。
それでも、呼吸一つ乱れていなかった。
「星を奪えば、妾が戦えぬと思うたか」
「まさか」
喉が焼ける。
さっきまで星全体へ瘴気を流していた。身体の奥は空に近く、片翼も輪郭を保つだけで精一杯だった。
ノワルミアは、私より傷が少ない。
私より速い。
私より長く戦っている。
支配者である前に、この人は強い。
だから、ここまで誰にも奪われなかった。
「ピュリ」
呼ぶと、背後で白い炎が揺れた。
ピュリファイアは膝をついたまま、崩れかけた生体核へ両手を向けている。ノワルミアとの接続を失った管が暴れ、床の下では返されたばかりの心拍がいくつも乱れていた。
白い火が管の暴走命令を焼き、花弁状の障壁が天井から落ちる破片を受け止める。
「こちらは任せて」
「聞き入れたくありませんわね」
「でも、任せる」
青い瞳が私を見る。
止めてほしいわけではないことを、彼女は分かっている。
「三分です」
「短い」
「でしたら、二分で終わらせてくださいませ」
「努力する」
ピュリファイアは、もうこちらを見なかった。
白い障壁を広げる。
私とノワルミアを囲うためではない。私たちの戦いから、解放された生命を守るために。
ノワルミアが槍を構え直す。
「別れは済んだか、妾の所有物よ」
「そういうところ」
「何じゃ」
「最後まで変わらないね」
薄桃色の大鎌を作る。
長くは保たない。両手の間に収まる短い柄と、肘から先ほどの刃。槍の間合いへ付き合うつもりはない。
「妾は、正しい呼び方をしておるだけじゃ」
ノワルミアが踏み込んだ。
◆
最初の突きは胸。
穂先だけを見れば避けられる。だが、槍を包む赤紫の境界が、刺突の途中で横へ広がった。細い槍が、見えない大剣になる。
下がれば追いつかれる。
内側へ入る。
穂先が肩を掠めた。
赤紫の包絡が変身衣装と皮膚の間で復相し、傷を内側から開く。熱い血が腕を伝った。
構わず、柄へ大鎌を当てる。
切らない。
位相の刃を滑らせ、槍を包む境界だけを削る。
赤紫の光が一瞬弱まった。
ノワルミアは即座に槍を回し、柄の中ほどを肘で押した。穂先が跳ね上がり、私の顎を狙う。
首を反らす。
黒い金属が鼻先を通った。
私の刃が、ノワルミアの右腕へ届く。
彼女は手を離した。
槍が落ちる。
そう思った瞬間、左手が下から柄を拾う。持ち替えと同時に石突きが膝へ来た。
避けきれない。
薄い障壁を一枚だけ作る。
石突きが砕く。
威力は落ちた。それでも膝が曲がり、身体が沈む。
ノワルミアの踵が側頭部へ飛んだ。
左腕で受ける。
骨が鳴った。
視界が揺れる。
槍が戻ってくる。
近づいたはずなのに、間合いを奪えない。長い武器を長いまま使っていない。左右の手を滑らせ、穂先、柄、石突きを、距離に応じて別の武器として使っている。
私が大鎌を作るより前から。
魔法少女になるより前から。
この人は、こうして他人を屈服させてきた。
「遅い」
槍が消えた。
手放したのではない。
包絡を一瞬だけ纏わせ、実体槍を床の表層へ滑り込ませたようだ。
次に来る場所が見えない。
ノワルミアの右手が動く。
背後。
振り返る。
復相した穂先が床から斜めに飛び出し、私の脇腹へ入った。
貫かれる前に身体を捻る。
刃が横腹を裂き、赤い線を引いた。
ノワルミアは床から出た柄を掴み、そのまま振り上げる。私の身体が槍の上へ乗り、持ち上げられた。
翼を開く。
薄桃色の羽根を床へ叩きつけ、反動で槍よりも速く飛ぶ。
空中で大鎌を振る。
ノワルミアは柄で受けた。
金属の質量に負け、刃が崩れる。
彼女の左手が私の首を掴む。
「捕らえたぞ」
爪が皮膚へ食い込む。
足が床へ届かない。
赤紫のマナが入ってくる。
“止まれ”
“開け”
“従え”
三年前、身体へ刻まれた経路を探している。
もう死なせたはずの命令が、古い傷の形に沿って神経を叩く。
指先が冷える。
視界の端が白くなる。
かちり。
拘束具の音。
ノワルミアの顔が近い。
「身体は覚えておる」
声は静かだった。
「どれほど口で否定しようと、妾が手を入れた場所は妾を覚えておる。貴様の腹に植えた器官も、淫魔の生体マナも、その翼もじゃ」
息ができない。
首を掴まれているからだけではない。
身体が、命令を知っている。
知っているだけだ。
私はノワルミアの手首を掴む。
力では外れない。
「そうね」
声を押し出す。
「覚えてる」
ノワルミアの口元が上がった。
「ならば戻れ。妾のもとへ」
「嫌よ」
腹の奥へ触れる。
異物だった器官は、もうない。
三年の間に境界は溶けた。血管も神経も生体マナも、私の身体と区別できないところまで混ざっている。
ノワルミアが探している入口は残っている。
でも、その先にあるのは彼女たちの器官ではない。
私だ。
入ってきた命令へ、瘴気を流す。
自分の神経は殺さない。命令だけを死なせる。
止まれ、が消えた。
開け、が消えた。
従え、が消えた。
握った右手が動く。
ノワルミアの肘へ掌を当てた。
マナを込めて打撃を与える。
復相衝撃が関節の奥で弾けた。
首を掴む指が緩む。
落ちながら、その腕へ両脚を絡める。身体を捻り、ノワルミアを床へ投げた。
小さな背中が叩きつけられる。
黒い槍が手から離れた。
私は喉元へ大鎌を作る。
刃が生まれきる前に、受け身をとったノワルミアの爪が腹へ入った。
薄い障壁を貫き、古傷の近くを裂く。
痛みでマナが散る。
大鎌が消えた。
ノワルミアは私を蹴り飛ばし、転がった槍へ手を伸ばす。私も床へ爪を立て、止まった。
立つ。
血が足を伝う。
膝が笑う。
ノワルミアも右腕を下げていた。肘の関節が壊れ、指先が細かく震えている。
それでも左手で槍を拾う。
「妾が作った身体で、妾へ逆らうか」
「それ、聞き飽きた」
呼吸を整える。
「あなたたちがしたのは、壊すことだけ」
「その壊れた器を新しく組み直したのは妾らじゃ」
「違う」
鏡の中の目を見られず、食べられない朝があり、眠れない夜もあった。それでも起きて、仕事へ行った。
いおどの髪を梳き、ピュリファイアとくだらない話をした。夢船へ瘴気を広げ、病を殺しながら、眠っている子供の呼吸を避けた。
誰にも命じられていない。
「生き延びたのは私」
一歩、前へ出る。
「この身体の使い方を覚えたのも私」
ノワルミアが槍を構える。
「魔女になったのも」
片翼を開く。
「私よ」
◆
ノワルミアの槍から、赤紫の光が消えた。
包絡を捨てた。
残ったマナを身体へ集め、星の女王ではなく、一人の戦士として最後の一撃へ全部を使うつもりだ。
私も大鎌を消した。
作り続ける余力がない。
薄桃色のマナを、残った片翼へ集める。
ノワルミアが床を蹴る。
速い。
槍を前へ出さない。身体の横へ隠し、間合いへ入る直前まで軌道を読ませない構え。
私は動かない。
穂先を見る。
肩を見る。
足を見る。
敵の挙動は、全部囮にできる類のものだった。
だから生命を見る。
どの筋肉へ血が集まるか。
どの指が柄を締めるか。
どちらの肺が息を残しているか。
左肩。
刺突ではない。
横薙ぎ。
伏せるには遅い。
後ろへ下がれば、槍の先端が追ってくる。
前へ出る。
黒い柄が右肩へ当たった。
骨が折れる。
身体が横へ流される。
片翼を逆向きに噴かす。
吹き飛ばされる力を、前への回転へ変える。
ノワルミアの懐へ入った。
彼女は槍を捨てる。
左の爪が喉へ来る。
避けない。
首の横へ五本の爪が入る。
熱い血が噴いた。
私の右手は動かない。
左手を、ノワルミアの胸へ当てる。
死を流す。
ノワルミアの心臓が一拍止まった。
彼女は笑った。
止まった心臓を、自分のマナで殴りつける。
もう一度、動かした。
爪が深くなる。
強い。
この身体一つで。
最後まで。
「妾を殺せば」
ノワルミアの声が掠れる。
「貴様を作った者が、いなくなるぞ」
「最初から、いない」
左手を離す。
大鎌を作るためではない。
短い刃を、指先に沿わせる。
ノワルミアは私の手首を掴んだ。
止められる。
だから、片翼を崩す。
翼を形作っていた薄桃色のマナが、二人の間へ散った。
瘴気になる。
ノワルミアの目が、わずかに揺れる。
視界を奪うためではない。
彼女の皮膚へ、肺へ、傷口へ触れ、生きている場所を読む。
心臓と神経、動こうとする筋肉の一つ一つまで読み取れる。殺せる。
けれど、それでは足りない。
三年前、届かなかった場所。
さっきまで所有を宣言し続けた声。
喉。
私は掴まれた左手を開いた。
短い刃を消す。
ノワルミアが力を込める対象を失い、腕が外へ流れた。
空いた右側へ身体を回す。
折れた肩は上がらない。
肘から先だけで、大鎌を作った。
長い柄はいらない。
大きな刃もいらない。
薄桃色の曲線が、私の腕から伸びる。
ノワルミアが身を引く。
遅い。
刃を、白い喉へ通した。
赤紫の血が細い線になって飛ぶ。
声を作る器官を裂き、その奥にある神経束と、心臓へ血を戻す管へ死を流す。
ノワルミアの爪が、私の首から抜けた。
小さな身体が一歩下がる。
喉を押さえようとして、壊れた右腕が動かない。
左手だけが傷へ触れた。
「それも」
声にならない息が漏れる。
「妾が、与えた――」
「この身体も」
大鎌を消す。
「淫魔器官も」
ノワルミアの赤紫の瞳を見る。
「死の魔法も」
彼女の膝が床へつく。
「全部、今は私のもの」
傷から入った瘴気が、喉から胸へ届く。
ノワルミアは、最後まで目を逸らさなかった。
命乞いもしない。
唇だけが動く。
所有物。
たぶん、そう言おうとした。
声になる前に、その心臓が止まった。
今度は動かない。
ノワルミア・オブリヴィオンの身体が、床へ倒れる。
星の女王ではない。
傷つけば血を流し、心臓が止まれば死ぬ、一人分の身体だった。
私はしばらく立っていた。
勝った実感は来ない。
三年前のことが消えるわけでもない。身体の傷も、拘束具の音も、これから何度でも思い出す。
それでも。
もう、あの声が私の続きを決めることはない。
「終わったよ」
誰へ言ったのか、自分でも分からない。
ピュリファイアの白い障壁が解けた。
彼女がこちらへ来る。
「二分を超えておりますわ」
「ごめん」
「その謝罪は、あとでまとめて伺います」
差し出された手を取ろうとする。
右腕が上がらない。
左手を出す。
ピュリファイアが掴んだ。
その瞬間、床の奥で何かが切れた。
低い音。
一度。
二度。
ノワルミアの心拍とは違う。
もっと大きい。涜船エグジラの生体核を取り囲む、惑星規模の機関が停止していく音だった。
処刑場の照明が赤へ変わる。
壁を走る血管が一斉に収縮し、接続先を失った管が狂ったように暴れ始めた。遠くで隔壁が落ち、何か巨大なものが崩れる。
警報が鳴った。
ノワルミアの声ではない。
感情のない自動音声が、涜船全域へ同じ言葉を繰り返す。
――統合制御、喪失。
――生体核、連鎖崩壊。
――自壊工程を開始。
足元が傾いた。
ピュリファイアが私の腰を抱え、倒れる身体を支える。
「終わっておりませんわね」
「うん」
天井へ亀裂が走る。
その向こうで、エグジラの空が割れ始めていた。