14 ノワルミア・オブリヴィオン
第十四話 ノワルミア・オブリヴィオン
「ようやく妾のもとへ帰ったか」
ノワルミア・オブリヴィオンは、黒い玉座の前で両腕を広げていた。
背丈は私より低い。
白い肌に、長い黒髪。赤紫のドレスは身体へ合わせて作られているのに、王冠だけが少し大きく見えた。
幼い少女の姿。
それでも、子供には見えない。
彼女が指を動かすたび、謁見室の壁を走る血管が脈打つ。床下の機関も、外郭の砲台も、培養槽の中で眠る生体兵器も、一つの身体として呼吸していた。
涜船エグジラそのものが、彼女の玉座だった。
「帰った覚えはないけど」
大鎌を消す。
戦う意思がないように見せるため。
実際、今すぐ攻撃するつもりもなかった。
ノワルミアの左右には、黒い装甲をまとった親衛個体が六体。天井と床にも、隠されたマナ反応がある。
ここで仕掛ければ、喉元へ届く前に囲まれる。
「相変わらず口だけは減らぬのう」
ノワルミアが玉座から一段降りる。
「三年も外へ置けば、少しは己の立場を理解するかと思うたが」
「立場?」
「妾の資産じゃ」
即答だった。
腹は立つ。
けれど、顔には出さない。
「私は幻想公司の職員よ。そちらと契約したことはない」
「契約?」
ノワルミアが笑った。
「貴様の骨を補強したのは誰じゃ。淫魔器官を接続し、枯れかけた命を保たせたのは誰じゃ。貴様が今日まで使ってきた肉体には、妾の資本と設備と技術が注がれておる」
「頼んでない」
「成果物に同意を求める工場があるか?」
笑い声が謁見室へ響く。
親衛個体は動かない。
私も動かなかった。
「それで、取り戻したいの?」
「当然であろう」
ノワルミアの視線が、髪から翼、右手の傷へ移る。
服を剥がすより無遠慮に、身体の中まで調べられている気がした。
「不完全な改造体が、三年で【特異】へ至った。死を操る魔法と、妾らが与えた生の機能を統合し、星を覆う瘴気を作り上げた」
「それも、あなたのもの?」
「起点を作った妾に、回収の権利がある」
違う。
この身体で生きた三年を、ノワルミアは知らない。
朝起きて、鏡を伏せたこと。
薬の量を間違えないよう、毎日記録をつけたこと。
いおどの前では平気な顔をして、眠ったあとに泣いたこと。
生き延びたのは、彼女たちの技術のおかげではない。
私が生きると決め続けたからだ。
「三年間、私がどう暮らしていたか知ってる?」
「報告は受けておる。幻想公司の救済施設。経理、管理、炊事。戦略級の力を持ちながら、随分とつまらぬ仕事へ収まったものじゃ」
「つまらなくない」
思ったより強い声が出た。
帳簿を合わせる。
薬の在庫を数える。
眠れない子へ温かい飲み物を作る。
朝になれば、いおどを起こす。
ノワルミアにとって価値がないだけだ。
私には、あの生活を守るためにここへ来るほどの価値がある。
「そうか。ならば、なお都合がよい」
「何が?」
「帰属後も、同じ仕事を与えてやろう。妾の兵を管理し、在庫を整え、効率よく生かせ。弟子も従順に育てるなら、傍へ置くことを許す」
彼女は本気で譲歩したつもりだった。
私の人生を、設備の役職へ置き換えて。
今は言わない。
怒りを飲み込み、玉座の背後へ目を向ける。
壁面に監視映像が浮かんでいた。
培養区画。
拘束台の上で眠る、小さな人影。
私が作った偽物の反応が、正常値を刻んでいる。
ノワルミアは、まだ気づいていない。
「弟子を返してほしいか?」
「そのために来た」
「ならば、条件は二つじゃ」
彼女が指を一本立てる。
「変身を解き、自ら拘束台へ戻れ。抵抗せず、妾の処置を受け入れると誓え」
二本目。
「【星を保つ死の瘴気】を、エグジラへ譲渡せよ」
「能力をどうやって譲るの」
「生体マナ場を解体し、再現可能な器官へ分ける。貴様が生きたまま耐えられるかは、妾にも分からぬ」
「死ぬかもしれない?」
「貴様が耐えられるかは、工程を変える理由にならぬ」
いおどの映像へ、赤い表示が重なる。
“生命維持待機”
“処分命令、接続済み”
私が解除した装置を、監視系だけで再現している。
見せかけ。
それでも、胸が冷えた。
あの台に本物が残っていたら。
今も首へ管が入っていたら。
私は、迷わず変身を解いていたかもしれない。
ノワルミアは、その顔を見たかったのだろう。
満足そうに目を細める。
「賢い貴様なら理解できよう。弟子一人と、妾の星を救う力。比較するまでもない」
「あなたの星を救う?」
「死なぬ兵士。病まぬ労働者。老いぬ商品。貴様の瘴気があれば、エグジラは真に完成する」
外郭で逃げていったワイバーンを思い出す。
命令から外れ、初めて自分で飛ぶ方向を選んだ。
ノワルミアが欲しいのは、生きる力ではない。
壊れず働き続ける在庫だ。
「いおどを先に返して」
「ならぬ」
「姿を見せて。通信じゃなく、ここへ連れてきて」
「交渉の順序を決めるのは妾じゃ」
「本当に生きているか、確認できない」
わざと疑う。
ノワルミアの視線が鋭くなった。
「貴様の瘴気は、培養区画の心拍を捉えておろう」
「さっきから反応が薄い。あなたが何かしたんじゃないの?」
監視映像の数値は動いている。
私の感覚には届かない。
保守繭の遮蔽と、偽反応を作った私自身の細工。
ノワルミアには、私が弟子を見失って焦っているように見えるはずだ。
「案ずるな。貴様が従う限り、殺しはせぬ」
「信じられると思う?」
「信頼など求めておらぬ。選択肢を奪えば、結果は同じじゃ」
一呼吸。
「私が断ったら?」
「弟子を処分し、貴様を解体する」
「受け入れても、解体するんでしょう」
「工程と待遇が変わる。自発的な服従には価値がある」
「何に?」
「次の製品へ再現する際にじゃ」
私が膝を折るところまで、実験記録にするつもりだ。
どの脅迫で。
誰を人質にすれば。
どれだけ痛めつければ、魔女が自分から拘束台へ上がるのか。
それを次の誰かへ使う。
彼女が手を差し出す。
小さな手。
星ひとつ分の命を、番号と資産へ変えてきた手。
「さあ、戻れ。妾の魔女よ」
私は一歩進む。
親衛個体の肩がわずかに下がった。
罠へ入ったと判断した。
あと少し。
いおどたちが遠ざかる時間を稼ぐ。
ノワルミアの目を、私だけへ向けておく。
「一つ聞かせて」
「許す」
「三年前、私を改造したのはあなた?」
ノワルミアは答える前に、玉座の背後へ目を向けた。
暗がりから、三度の拍手が聞こえる。
ゆっくり。
こちらを馬鹿にするような拍手。
忘れるはずがなかった。
白い照明。
動かない手足。
鳥の嘴のようなマスク。
黒い人影が玉座の裏から姿を現した。
「正確には、共同事業だよ」
明るい女の声。
「久しぶりだね、カワイイスパイス君」